
アーリア人のガンジス定着はおよそ今から三千年以前からはじまり、以後五百年ほどの間に一段落した。この時代は同時にバラモン文化の全盛時代であり、リグ・ヴェーダにつづくサマ・ヤジュル・アタルヴァ等のヴェーダ成立の時期である。かれらの都市国家は、社会上における階級制度の成立に役立ち、現在もなおインド社会の桎梏をなすカースト制度すなわち四種姓の区別も、この時代に決定的になったのである。四種姓とはすなわち宗教・学問を司るバラモン種を最上とし、クシャトリアの王侯武人の階級がこれにつぎ、その下にヴァイシャの庶民階級と最下等のスードラの奴隷層とがあった。この中、バラモンは最貴の位置を占め、その宗教祭儀を記したヴェーダは絶対に神聖視された。けだし、当時宗教ははすなわち科学であり文学であり、知識は宗教を離れて存在しなかった。したがって、これにたずさわるバラモン階級が社会の指導権を握り、かれらによって哲学・文学の上に特殊な発達をとげるようになったのである。
【ガンジス流域平野の都市国家】-「アジア史概説」-宮崎市定
カースト制度の発生はいわば絶対的支配階級からの一種の選民思想であり、ヴェーダ伝承の裏付けを得て創り上げられアーリア人(Aryan)の国家形成に寄与していったと言うことになるかと思う。また経済的構造についても牧畜や農耕一辺倒から商工業の発生を迎えつつある時代に向かっていたとも言えるだろう。このような時代背景は一種のアーリア人 (Aryan)文化の成熟期に当たり、逆に言えば対外的な敵がまだ存在していなかったからこそ内なる国家に向かったのではないかと思われる。カースト制度についてさらに考察を進めていきたい。
起元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。基本的なカーストは4つにわけられているが、その中は更に細かく分類されている。
カーストという単語はもとポルトガル語で血統を表す。そこからインドにおける種々の社会集団の構造を表す言葉になった。カーストの移動は認められておらず、また、カーストは親から子へと受け継がれる。結婚も同じカースト間で行われる。そのように古い起源を持つ制度であるが、現在も法的な制約はないものの、人種差別的にインド社会に深く根付いている。
(中略)
カーストは基本的な分類が四つあるが、その中には非常に細かい定義があり非常に多くのカーストがある。カーストは身分や職業を規定する。カーストは親から受け継がれるだけで、生まれたあとにカーストを変えることはできない。だたし、現在の人生の結果によって次の生など未来の生で高いカーストに上がることができる。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。
(中略)
カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることが出来ない。カーストは職業や身分を定める。他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるスードラに入ることしかできない。生まれ変わりがその基本的な考えとして強くあり、努力により次の生で上のカーストに生まれることを勧める。
-【カースト(身分制度)】ウィキペディア(Wikipedia)-
カーストは現世において決定されてしまったものであり特別の例外を除くと変えることのできない身分制度でもある。アチュート - (カースト以下)である「不可蝕賎民」の存在や彼らが従事している2000以上にわたる職業は親から子へ受け継がれるものとして決められている。現在インドの不可蝕賎民の占める人口は1億人を越えると推定されている。そしてまたヴェーダの選民思想はヒンズー教によって現在も受け継がれインドに於ける共同幻想(共有する観念)を体現化している。そしてまた、このカースト制度と輪廻思想とは決して不可分ではなく輪廻転生があってのカースト制度の容認に繋がっているのである。
写真家としてインド亜大陸で活動の多い柴田徹之氏の『chaichai south asian image』の中の「インド旅の雑学ノート」には現代インドについて大変興味深い考察が載っているので引用したいと思う。
(前略)
デリーをはじめとする大都市の片隅で何度も見かけた光景がある。完全に不可殖民と思われる人々が、裏通りのどん詰まりのような場所で、めいめいが缶など太鼓代わりになるものと棒とを持ち寄り、激しいリズムで打ちまくる。人々は髪の毛を振り乱しながら次第にトランスの世界へと身を投じていく。その先に現れるものが何かは分からない。それはときにシヴァ神であったり、あるいはその他の鬼神(シヴァは本来、鬼神であったとする説もある)であるのかもしれない。鬼神は、あるいは彼らの「守護霊」でもあり、いつも寄り添うように彼らを見守っているのかもしれない。おそらく、彼らがカーストを捨て去るとき、彼らの「守護霊」も彼らを見放すに違いない。カーストはその人の出自を意味するものだ。彼らの魂も「守護霊」も、彼らのカーストの中に宿っているものだ、ともいえるだろう。また現実問題として、カーストは社会保障の役割をも兼ねている。独立心の乏しい多くのインド人にとって、カーストによるつながりが社会生活を送る上で必要不可欠のアイテムになっていることも事実である。インド社会はカーストに依存し、そしてがんじがらめになっている。思うに、現在なおカーストが機能しているのは結局はインド人の強い支持のあらわれではないか。それを許容しているのは上位カーストの人々だけではない。もし、下位カーストの人々がそろって武力蜂起したら、カーストなんてすぐに崩壊するに違いない。でも実際にはそうはならなかったし、これからもないだろう。あとは時間がゆっくりと解消するのを待つほかないのかもしれない。
(後略)
【カーストの不思議】-柴田徹之-
※参照サイト:「 chaichai 旅写真ブログ」-柴田徹之-
我々から見ると哀しい現実ではあるが、渦中のインド亜大陸に住まう人々にとっては未来の道しるべとして「輪廻」の中の一コマの人生でしかないのかも知れない。
現代インドの人種と言語について
カースト制度について語る時に忘れてはならない事がある。それは人種の出自とも深く関わっている言語である。ここで現代インドの概略だけをなぞってみよう。
矛盾多きインド
イギリス人リーズレーによる1901年の国勢調査の報告によると、インドの人種は、ドラヴィダ型、モンゴル型、インド・アーリア型、トルコ・イラン型、モンゴル・ドラヴィダ型、アーリア・ドラヴィダ型、スキタイ・ドラヴィダ型の七種に大別され、その各々は、さらに数十に細別されるという。
このように人種構成が複雑であるということは、同時に、かれらが使用する言語が雑多であるということを意味した。現在インドで使用されている言語は、おもなものだけで七〇種とも九七種ともいわれているが、100万人以上によって使用されているものだけでも、二三種にのぼる。文化の基盤となる言語が、ひとつの国の中で、このように区々として統一がないということは、まことに驚くべきことといわなければならない。
-古代インド 佐藤圭四郎 世界の歴史6-
また言語については大まかに言えばアーリア系言語*註1とドラヴィダ系言語*註2とに分かれる。そして人種と言語はさらに現代インドの宗教であるジャイナ教、拝火教、イスラム教そして多数を占めるヒンドゥ教の構成基盤に繋がるものとしてあり、特にヒンドゥ教にはその人種や言語によって様々に宗派が分かれている現状がある。
*註1:アーリア系言語:カルカッタを含むベンガル州で使用しているベンガル語、西隣のビハールで使用しているビハール語、南部のオリッサ地方で使用しているウリャ語、インド北部で用いているパンジャブ語およびラージプターナ語、ボンベイを中心とした地域で用いているマラーダ語、その北で使われているクジャラート語などである。
*註2:ドラヴィダ語系言語:インド半島南部で主に使われている。その西部においてはカナラ語が、その半島西南部ではマラヤラム語、東海岸の中部地方でテルグ語、マドラス以南の地方ではタミル語が使用されている。
-光芒-3-「ゴータマ・シッダールタ」 に続く-
-光芒-序-「意識の欠片」-
※このエントリははてなダイアリ(2005-11-06)から転載されました。
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