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2008-08-20

批評の本質

 保坂和志と高橋源一郎そして笙野頼子氏等に端を発した『小説は小説家にしかわからない』事件って『事件』なのかどうかは別としてなんか色々とネットをヲチしてたんだが私から見ると「論争」といえるものなのかどうか分からない。一種の文壇政治ゴシップみたいに思うのは不遜であるかも知れないが見え隠れする作家という矜持に違和感みたいなものを持ってしまった。いわゆる作家先生の鼻持ちならなさみたいなものに不快の念を禁じ得なかった、と云う風に言ってもいいだろう。しかし今となれば記憶の隅っこに移動してしまっていて当初感じた苛立ちは消えてしまっている。
しかし、最高の批評は作品からおもいがけないものをつくりだす創造作業だ。作品に価値を与えることができる。作品を鐘になぞらえてハイデガーがそういっている(とブランショがいっている)。批評はその鐘を打つ打ち方で、だれも聴いたことのない響きをつくりだせたとき、その批評は最高の批評なのだ、と。しかも、その批評のあと、その響きは、はじめから鐘が持っていたものだとされる。作品を輝かせると、そのときにはもう批評は消え去る。触媒に、「消える媒介者」にすぎないものとなる。その消滅こそが、批評のほこりなのだ、と。
 -「欲望なんてものはない」-坂のある非風景-

 批評が批評たりえるのはM氏がいうとおり作品の雰囲気を批評家たるものがどう伝えることが出来るのかでしかない。そしてその点で批評も文学という範疇に棲息出来うるものだと思っている。そして批判も批評のひとつでもあることは自明である。また世に棲む作家と呼ばれる人たちと批評家と呼ばれる人たちのせめぎ合いも有りとしなければならないだろう。読者というものが存在する限り「批評」と呼ばれるものも存在するのだ。レヴィナスは読み手となっている人たちを「受容者」と呼んでいて『現実とその影-Emmanuel Lévinas1948年』のなかで批評の本質を以下のように述べている。
マラルメを解釈することは、マラルメを裏切ることではなかろうか。マラルメを忠実に解釈することは、マラルメを抹殺することではなかろうか。マラルメが曖昧に語ったことを明晰に語ること、それは、マラルメの曖昧な語りの無効性を明かすことではなかろうか。
文学の営みとは区別された機能としての批評、専門的で職業的な批評は、新聞や雑誌の文芸欄や書物として登場するのだが、そうした批評がうさんくさいもの、存在理由なきものと映るということも、もちろんありうるだろう。
けれども、批評の源泉は聴衆や観衆や読者の精神のうちにある。こうした受容者たちの振る舞いそのものとしての批評が存在するのだ。美的喜びに溺れることで満足することなく、受容者は、語らなくてはならないという抗しがたい欲求を感じる。
芸術家が作品について当の作品以外のことを語るのを拒む場合にも、受容者の側には語るべきことがあるということ、-黙って観照することはできないということ-、それが批評家の存在理由である。
批評家をこう定義することが出来る。批評家とは、すべてが語られてしまったときにも依然として語るべき何かを有している人間であり、作品について作品以外のことを語りうる人間である、と。
-【芸術と批評-p303】(『現実とその影-Emmanuel Lévinas1948年』合田正人 訳)-

 そして断固それは芸術家が蝿を払うようにしてもそれとして存在する。
このエントリィは「愚民の唄」2007-12-23に書かれたものを転載した。

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2008-08-19

Epistrohy

 唐突だが私はEric Dolphy(エリック・ドルフィ)のEpistrohyが好きだ。そして私はEric DolphyのIron Manが好きだ。それもほとんどミーハー的にまで、だ。前者のサックスの咆吼、後者のBobby Hutcherson:vibesとの絡まり方はまるで狂気の万華鏡の世界を展開する。涯的宇宙空間での時間性への鬩ぎ合いとでも言えばいいのだろうか。対峙する意識としての外化不能までに空間性を消滅させ時間的に意識を浸食し始める。そう、まさに暴力的である。私はそこではひたすら自分の意識の消滅を祈り、物理的時空を超越しようとする。想像的意識はひたすら下降ホールを底へ、底へと落下していくのだ。そして辿り着くのは根源的な意識としての存在だけの世界である。あてどもなく彷徨う時間軸の先にある存在、だ。魂への揺さぶりとはそういうものなのである。
When you hear music, after it's over, it's gone in the air
You can never captune it again

- Erick Dolphy (Last Date)-

alt saxプレイヤーとしてのエリック・ドルフィの最後の言葉であることはジャズ・フアンの間ではよく知られている。音の作り上げた空間を良く言い表していると共にこれほど想像力の世界を言い当ている言葉は無い。

※このエントリィは「2004-02-27」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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Eric Dolphy

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2008-08-18

metaphysical ”Nardis”part three

 トランペット吹きがピアノ・トリオにピッタリの曲を創るって事は別に不思議ではない。人々の思いこみという観念の位相は時としては腹もふくれない「知識」というヤツに幻想を抱くものなのである。そしてそれは決して普遍性を有する「智慧」には到達しない。Bill Evansに関しての伝説や憶測はごまんとある。もっともそれに負けないくらいMiles伝説にも「嘘」があっていい。だから私はしたり顔で言う、彼が、Bill Evansがユダヤ人であった場合はどう論ずるのだ?と。この「ノート」も例外ではない。逸話は「逸話」として置いておけば良い。己の観念に取り込まれるのも愚者の常なのだから。そしてなんと言っても私は愚者である。
 さて魂を揺り動かされるという事は一体どういう事を指すのか。フレーズが紡ぎ出すえもいえない空間とは何なのだろうか。それは日頃は感ずる事もなかった「曲(絵画でも良い)」に急に感動を覚えたり涙したりする事は誰もが体験する事である。いわゆる”そこ”が泣き所といわれる所以である。しかし、そのことが本当に魂を揺さぶっているのだろうか。その波長で「気分が高揚したんだ」と。しかしながら私は言う「だからなんだ」と。高揚しない場合もあるのだ。鬱病患者を擬態化させようと目論むα波の音のことを言うのであれば心療内科の医者に任せておけばよいのだ。そしてそのような事を論ずる批評家然とした輩は放置、である。
 再びRichie Beirachへと戻ろう。私はpart oneにおいてBill Evans(P)とScott Lafaro(B)の関係を述べたかと思うが、では、Richie Beirach(P)、Frank Tusa(B)、Jeff Williams(Ds) のトリオはどう見えてくるのかを考察したいと思う。BeirachはおそらくこのNardisに向かう前にソロで数え切れないぐらいの試行をしたはずである。時間軸への挑戦である。当然の事である。おのれのNardisとEvansのNardisは時代性の位相差があるからである。今、目の前にある Evansトリオの音楽空間をBeirachはどのように止揚しようとしたのか。いかにもあっけない答えかも知れないがBeirachもEvansのようにしたのである。ご存じのようにEvansのNardisは1Takeだけではない事はよく知られている事実である。かれにとっては何度も何度も極めようとした特別のテーマだったのである。(何故特別なのかという事については後日述べようと思っている。)Beirachはソロで試行したであろう時におのれの時間軸を徹底的に駈け抜けたはずである。そしてその極みにあるおのれを見た幻覚にとらわれそうになったはずでもある。しかし見る事は出来なかったのである。そしてEONでの NardisのTakeに取り組んだのだ。そして後日何度もNardisに取り込まれる事になったのは周知の通りである。果てのない囚われの幻視に向かって・・・。

※このエントリィは「2004-02-26」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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2008-08-17

metaphysical ”Nardis”part two

 ピアニストBill EvansにとってのベーシストScott Lafaroの存在はお互いが「高まり」を共有出来る無比の存在であった事は先程述べているところであるが、彼とのsessionはScottのあっけない交通事故死によって終わっている。時空間の恋人同士であった片方の「死」はある意味では無惨ではあるがエバンスにとっては彼との空間を止揚するmotifにもなったはずである。己を先行するベーシストを失ったEvansの取るべき道はたゆまぬ時間化度への進撃である。後日のピアノ・トリオとしてのピアニストであるBill Evansは孤高である。
 このNardisであるがRichie Beirach(Richard Beirach)が様々な位相で取り組んでいる。リッチィ・バイラークは1947年NYのブルックリンで生まれている。私とほぼ同年である。名前から推察すると北方ヨーロッパ系移民の血を引いているようにも思える。彼のBill Evansへのこだわりは彼のアルバム(discography)からも窺い知ることが出来る。ECMレーベルから発売されたリッチィの初リーダーアルバムEON(1974年11月NY)のなかでNardisはとりあげられている。楽器編成はRichie Beirach(P)Frank Tusa(B), Jeff Williams(Ds)のピアノ・トリオである。このトリオで翌年もう一枚(Methuselah)つくられている。が、目指しているところからするとEONのほうがより「内省的」であり3枚目となるSunday SongにおけるTusa(B)とデュオに至る方が自然のように思える。EONのNardisは意欲的であり挑戦的である。当然の事ながらコードやフレーズから感じられるものは眩いばかりの Nardisへの「愛」でありBill Evansへの切ない想いの咆吼のようだ。何度も何度も虚空に向かう「フレーズ:仮講線」はTusaのベースによって高められていく。それでも”失墜”していく様はおどろおどろしいまでのピアノ独特の空間を形創る。Evansが試みたように”憑依”され何かを超えようとするかのように、だ。そしてBeirachは美学的に云うならばNardisというabstract artを造形したのだ。

※このエントリィは2004-02-24に「はてなダイアリ」に書かれたものが転載されたものである。
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2008-08-16

metaphysical ”Nardis”part one

「ナーディス:NARDIS」は1958年MilesがCannonball AdderleyにRIVERSIDEへ移籍した初レコーディング・アルバムのお祝いに書いた曲である。長年マイルスに同伴していた彼の労苦のお返しに書いたと云われる。と、されている。オリジナルにはTAKE4・5とある。当時マイルスのバンドでピアノを弾いていたBill Evansやポン中のPhilly Joe Jonesが参加している。しかし、世間的にはどうやらBill EvansのNardisの方が知られている。プロデューサーでありミュージシャンであるBen Sidranの”逸話”が真実に近いとするならば帝王Millesのパクリであろうと推察される。笑えるではないか。シドレンを逆から読めばいいのだ・・・。つまりBill Evansの作曲と見るのが自然なのである。
 さてそのB・EvansのナーディスであるがきわめてどのTAKEも思索的である。彼のレパートリーの中でもこの曲だけは時間が経過していくほど形而上学的でもある。JAZZ的にどのTAKEが良いのかという問題ではない。sidemenや環境にもよるからだ。確実に時間性を獲得していく空間として云うのだ。ある意味ではこの曲は示唆的でもあるかも知れない。自己表現としての時間化度の深化を彼がこの曲で試していると言う事にもなるのだ。彼は1980年に亡くなっていて私はその2年前の冬に金沢のコンサートで会っている。楽屋でのきわめて短い時間でしかなかったが我々の質問に根気強く静かに応える彼の姿が印象的であった。ついでに云うならば握手した手が私の倍以上もあった事を覚えている。最初の一音に彼の時間化度が推察され、サイドの音はその後から来る。美しい!だが、これは違う!と云うのが正直な気持ちでもあった。おそらくメロディラインにまで昇華してくるScott Lafaroと自分の意識の中で較べていたのかもしれない。時空の中の「ケルン」であったScott Lafaroこそは彼を時間の極みにまで到達させたのではないだろうか。

※このエントリィは「2004-02-23」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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2008-05-23

「浄土」を書き終えて


 id:h_catも言っていたが、御多分に漏れず私もほっとしている。完璧なものなど書きようもなく不完全燃焼のようなものを感じている。限られた時間の中で書くという困難性はあるにしても自分なりのテーマやイメージに沿って掌編を習作させて頂いた。趣旨に賛同しエントリ参加してくれた諸氏並びにnoon75氏にはあらためて感謝の意を表したい。
 人嫌いといいながらもそれとなくネットでお付き合いをさせて貰っている「尼僧id:nappa2914」がいる。まだお若いのだけれども興味深い女性である。今回の掌編「浄土」について的確な感想を頂いた。有り難いことである。
「浄土真宗では亡くなったの人のことを浄土へ帰る(還る)というのよね、とっても素敵だと思うの」と言っていた事を想いました。
 -「尼僧、親鸞聖人の教えと日暮之所感」註1-
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨(註2)の利益にあずけしめたまうなり。(歎異抄一条)

※写真は「幻化(註3)」屏風右-冨田渓山-
参照:「美術品は語る-幻化-」
※このエントリィは「愚民の唄」2007-01-17に書かれたものを転載しました。またここで言われている掌編「浄土」は南無’sワールドにおいて「善なる人々-悠治編-」として加筆改編されました。
註1:引用先は現在クローズされていて「弟系『尼僧、親鸞聖人の教えと日暮之所感』」に引き継がれている。
註2:摂取不捨(せっしゅふしゃ)〔仏〕 阿弥陀仏が念仏する衆生をすべて浄土へ救いとって、決して見捨てないこと。浄土教で説く、阿弥陀仏の根本的なはたらき。
註3:幻化(げんけ)仏語。幻と化。幻はまぼろし、化は仏・菩薩(ぼさつ)の神通力による変化(へんげ)。実体のない事物、また、すべての事物には実体のないことのたとえ。-大辞林
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2007-11-23

書けないとはなんだろう



 「書く」と言うことを考えてみると、なんと言っても自分自身のために「書く」ということが誰もが頭に浮かぶだろう。また姿も見えないものたちのために書く者もいる。これもひとつの方法だと思う。だが他者であるものたちの中に自分がいるということにどれだけの人が気づいて書いているだろうか。でもそういうこととかを含めて自分自身を真の意味で捉えているだろうかと考えてみることも必要だと思う。「書く」という営為が孤独であることについて異論を持つものではないが『書かない』ということも営為のひとつの形ではある。ではこの『書かない』には何が含まれているのだろうか。「書けない」、「休筆したい」も『書かない』に含まれている。でも「書けない」に甘んじている者はもう一度自分自身を見つめ直してほしい。「書けない」ということを語ることは「書く」ということを語ることにならないだろうか。絶望とか虚無の中からも力を与えられた言葉は飛び出してくるのだから。

※写真はLouis-Ferdinand Céline
渓谷0年: 「累積」を読むこと
※このエントリィははてなGにおいて2007-10-07に書かれたものを転載した。

2007-11-02

「虚業」余聞


 私は先日自分の過去について触れたが、そのあとの挫折した生活のなれの果てにたどり着いたのは屍累々の凄まじい世界だった。余談になるが先日ある方とチャットで話していたのだが「はてな極悪ブロガー」の頂点に立っているのは実は南無さんではないでしょうか、と茶化されるほどである。多分そうなのだろうと思う。もっとも過去現在も含めて差し障りのない程度にしかブログ「南無の日記」では書いてない。でも先日も約束したとおり少しづつここでは書いてゆくつもりである。きわめて私的には近いのだが創作上の秘密というものが語られれば一番いいと思っている。

 私が書いていた自伝的小説「虚業シリーズ」が書かれ始めたのは今調べてみると2004年のことであった。その中で「虚業5」と題されたものはgooブログ「南無の事件帳」において2004年9月14日のプロローグから始まり3回のintermissionを挟みながら19回に分けて連載され2004年10月11日にエピローグを書いて終わっている。つまりほぼ毎日のように書かれたのである。また私の初めての中編領域のものであった。のちにその「虚業5」は「虚業」と名を変え編集し直されてC-Uにおいて2005年3月にアップロードされた。その間Vシネマで映画化の話が進み2005年5月にクランクインし編集、音楽、アフレコなどが終わったのがその年の9月も半ばのことであった。東京の撮影プロダクションから関係者用のプロト版が私の手元にビデオ・テープとして送られてきた。ビデオテープということで画面も荒く音質もモコッとしたものでしかなかった。そしてその後エンターテーメント性が薄いゆえかどうかは知らないが日の目を見ることなく殆どお蔵入りになっていた。ようやく今年7月にセルとレンタルの決定がされたようである。GPミュージアムの案内を見ていると確かに7月25日リリースとなっていた。ということは来月頃にはGPミュージアムの当該サイトで予告編も流されてゆくと云うことになる。映画会社に損をさせたような気がしないでもないが、これもリアル南無のつまらなさで勘弁してもらいたいとも思っている。
 当時その「虚業」を書き終えて私はこんな事を書いていた。
ようやく「虚業の5」を終える事が出来ました。長い間御愛読ありがとう御座いました。
 「列伝シリーズ」のなかでも虚業の章は人の運命の儚さと共に欲と銭、善と悪を意識して書かれています。私から見れば欲望の虜となった人間に善も悪もないだろうに、とは思います。所詮は妄想の中で生み出される物でしか有りません。だがそうやって人間のドラマは繰り返されるのであり、やがて老いて朽ち果てる時にそれに気づくに過ぎません。
 今回の「虚業の5」は私の経験したいくつかの事件が重なり合って描かれています。それぞれを別個に書く事も可能ではあると思いましたが、本質的な根底部分は全て同じであれば、よりフィクションに近づいた方が読みやすいだろうと思うからです。
(中略)
 なお下記に不必要と思われ本文で捨象された事柄を短く書いておきます。「虚業の5」についての元々の原稿は本文の3倍近くあったのが実情です(笑)。如何に短く伝えられるものかが全てでした。ですが表現力のない私にとってはこれが目一杯でした。また暴力シーンと性描写についてはそのほとんどを割愛しました。

 当時の一種の疲労感と共に何かひとつのことをようやく書き終えたという気持ちを表していたのだろうと思う。そして初めて言うが、今書き続けている「黄泉の男」はたぶん一旦アップから下ろされ、大幅な編集が加えられ、より長編の物語として生まれ変わると思っている。現在のところまでは原稿用紙にするとおよそ230枚程度にはなっているが当初から500枚程度を考えて書かれ始めたものである。キャパシティの問題と捉え直すとブログ向きではなく、紙化を目論んだ方がよいと思っている。そしてそれが実現されるべく黙々と書いてゆくつもりだ。
※写真は撮影の合間の風景である。『虚業』は映画化にあたり「闇金の帝王」と映画題が与えられた。
記:はてなGの「愚民の唄」2007年05月02日より転載した。
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なぜ私は今も書いているのか

 私は私自身をよく知っているつもりだ。そしてまた私は今最低の気分になっている。また私は私自身のことをここコンポラGで誰かにわかって欲しいというつもりも今となれば無くなった。心の奥底にしまってきたものを今後少しづつここに書いてゆくつもりだ。またここで書くことについては古くさいと言われようが狂人と言われようがどのような批判も受けてゆくつもりである。そしてこういう言辞で皆さんが共にやることが出来ないと思うならば去ってゆけば良しと思うようになってきている。こんな事は久しぶりに起きた心の現象である。また言っておくが、もともと退会はボタンひとつクリックすれば出来ることである。しかしそれを誰にも求めはしない。ただ私が責任者である以上私がそれをクリックすることだけは出来ない。またシステム上も出来ないようになっているのでみんなは安心して欲しい。
 さて、では始めよう。
 ぼくたちは「呪海」-創刊号-を刊行に至らせるまで一年以上の徒労を要した。これには物理的、経済的な制約があげられるが、このことは何も「呪海」に限ったことではなく様々な同人誌が等しく背負っている問題でもある。にもかかわらず一年あまりの時間は徒労に過ごされた。
 これにはぼくらが元来もっているところの誠実さと無知とが原因となった。「呪海」は文学を志す者すべてに門戸を開くという唯一の原則をもっているということから、、誰かまわずとぼくたちは接し、そのあげくが文学ゴロにひっかきまわされるというぼくたちの頓馬振りを示したのであった。誠実さが泣きをみるということが痛いほど身にしみた体験であった。そしてぼくたちはこのような甘えを造りあげている文学者共の正体をも一瞬、この時見たのであった。ぼくたちは断じて彼らゴロツキ共を許すわけにはいかないだろう。
 今となってはもはやぼくたちはただひたすらに書くのみである。書くことでのみ書く根拠を得ることができるという情況をを受けとめることでぼくたちは自立した表現行為をうちたてているのだ。
 -「呪海」創刊号編集後記より1970年10月-

 1969年に三人の男が同人誌の発刊を企てた。私は22才だった。詩を書く者がふたり、小説を目指す者がひとりであった。創刊号の編集後記は私が書いた。そして私はその後徐々に仕事の世界に埋没してゆき、私は他のメンバーも増えてきた頃の「5号」を最後に自分の才能の無さとそれに伴った書く意欲の喪失と共に深い敗北感に苛まれながら最低の人生を歩むこととなった。そして私の居ないあいだにも残りのメンバーで「呪海」は年一回というペースではあったが発刊され続けていき、私に送り続けられていた。1979年7月第10号が結果的には最終号となった。『結果的』という言葉を使ったのは編集を担当していた詩人御堂勝の自殺によって結果的に最終号となったのである。葬儀は先日もコンポラGのコメント欄で書いたように私が葬儀委員長であった。無論色々な関係から私の意志にかかわらず葬儀のとりまとめが出来る者が私しかいないと言うことが当時残った同人達によって決められたのである。そして彼の家族が列席も拒む最低の葬儀((結果的には私が懇願し夫人と娘を出席させることが出来た))を執り行った。今も悪夢のようにその時の模様が記憶の隅から消えることはない。また御堂勝は他の同人誌にも寄稿していてその関係者の方々も出席していた。そして葬儀後、遺稿集を出すという発言が大勢を占めそのことについて唯一後ろ向きであった私が弾劾されたのである。なぜ後ろ向きであったかという理由を私は死ぬまで書いたり言ったりすることはない。そして遺稿集は御堂勝が「あぽりあ」の同人も兼ねていたという関係で詩人坂井信夫達の手によって成された。その当時の詩人達の一部の動向は坂井信夫の「講演」などでも知ることが出来、御堂勝の「遺稿集」にも触れられているからみなさんも読んでみるのもいいだろう。御堂と私は詩を書く者と小説を書く者との違いがあったが喧嘩も絶えない兄弟のようでもあった。現に東京では半年近くも4畳半のボロアパートの一室で共に生活をしていた時期もある。そしてその当時、御堂からたくさんのことを私は学んでいた。一番学んだのは「言葉」であった。つまり言葉の重みであった。そして彼はその重たさゆえ自死を選んだのだと私は今も思っている。彼が死ぬ20日程前に電話がかかり私は何とか仕事の都合を片付けて東京へ深夜車を飛ばした。彼の言要のただならぬ気配で彼の住む板橋のマンションに向かったのである。だが在室であるに関わらず彼は私のためにドアを開けようとせず意味不明のことをドア越しに叫ぶだけであり私はドアの前で呆然と立ちつくすしか無く、翌日あきらめて北陸へ戻った。そして20日ほどしてから彼は首を括った。死に顔は決して美しくなく浅黒く醜くもあったが、だが私はそれが美しいと感じた。後で知ったことであったがその頃にはもう夫人や娘達は家を出て行ってしまっていて、御堂も一切の働きを止めたままであったということを知った。
 私はここで皆さんにこれらのことをわかって貰おうとは決して思いません。同人誌という古くさい言葉の意味と言葉の持つ重たさを知って欲しいだけなのだ。いかにも同人誌は古いとも言えるが意味もわからず皆さんに語られる事は今後一切拒否する。また、ここにいてさえ自分の書くことに意味を見つけられない者や、まやかしの言葉に奢る者はこのコンポラGからたった今去るべきである。どのみち、そのような者が書くものはその言以下でしかない。しかし書くことが唯一無二とまでは言わないが意味あるものと思う者は、うまいとか下手ということに関わらず今しばらく我々と一緒にやっていくべきである。それをCUが待っている。
 どうもコンポラGで書くという行為を勘違いして振る舞っている者もいるようだ。また「自由」とか非自由とかという言葉はどのような意味があるというのだ。id:akkyに聞くことがある。本質的な自由というものはどのようなものなのであろうか?自由が本質的に目指すところのものはいったい何なのであろうか。古い時代には、と言ってもフロイド的な時代のことだが自分の鎖は自分が作り出したところから鎖を見るという人間の潜在的な意識の有り様を分析して見せた。つまり鎖に縛られたと思うに至る己の幻想で鎖に縛られた人間を見せてくれたということになる。もしこれがきみの言う意味であればきみは類あるものとして凄く古い人種であるという証明になる。
 そうでないなら次に行こう。それから後の世は現象学を経て人間のもっと深い存在の有り様をサルトルは世界内存在として捉え、個人の自由は全的にも全ての人間が自由になることでしか果たせ得ないのではないかときわめてカント的に捉えた。ではこの自由のことなのか?
 違うのであれば更に言うがきみの自由とは何なのだ?どのような位相でここにその非自由さがあるというのだ。ではこちらからその位相に下がって言わせて貰うが自由とは「孤独」に決まっていることは小学生でさえ知っていることである。対他的関係の消滅する孤独というものこそ、その意味では自由であると言うことであって、ここにはいかなる拘束事項もない。孤独という自由が嫌であれば、いかなる自由が欲しいのだ。そしてまたきみが言うような孤独でない自由というものがあるのであろうか?そんなに非自由に書きたいのならば自らのブログへ戻り、いままで通り非自由な「メタブログ文章」を書けばよろしい。
 そして皆さんにもついでに言いたい、私にこれ以上何を言って貰いたいのだ。私が言いたいことはそれだけである。そしてCUの諸君、君たちはそこのところはよくわかっていると思う。そう思って私はフォーラムでぬーん氏が私にくれたメールの一部を公開したのだ。CU以外のコンポラGの皆さんのために抜粋だけ以下に転載しておく。
言葉の力とは何なのか。文学の使命とは何か。この古くさいテーマを今この時代に真剣に考えることが、いま僕らが直面している課題なのだと思っています。なぜならそれは少しも古くなく、いまもなお力を持つ問いであると僕は信じるからです。
  -ぬーん郵便より-

そしてまた、言葉は言葉によって復讐されるのだ。言葉の重たさとはそういうものであり、書くことに依ってしか視ることは出来ない。
おわりに御堂の「呪海」における最後の詩を以下に全文掲載する。
生殺し・・・・・・

攻めることもできず
守ることもできずに
きみはただじっとしているだけ・・・・・・
死ぬこともできず
殺すこともできずに
きみはただやっと生きてあるだけ・・・・・・
そして
きみはただとどまるだけ・・・・・・
そこにあるだけ

一本の線がつづいてある
それは
直線だったり
曲線だったりして
そこにあるそして
ここにいるきみの視角には入ることもなく
死角の方にきみをおいつめる死線
きみはそこで解放されることもなく・・・ ・・・

きみはよこたわる
よこたわることで仮の安息を得る
が きみの曲がりくねった列島は
四肢の隅々で
流れない時間の対流と
彎曲した空間の疲労を
いまここのマンションの入江に沈殿させる
生殺しの妄想と
歪曲されたきみの現実
ふみだす過程(プロセス)もなく・・・・・・

きみの階段はとぎれる そして
つかれた魚のように朝靄のなかを
浮遊する きみの歩行
一瞬 - バスを降りると
きみはそのままの姿勢で群衆の中にある
あきらかに光景は
夕刻時の立ち会い演説会であるというのに きみは
同致できない朝の空間を時代の方に引きずっている
いまここの時の段階(きざはし)に・・・・・・

攻めることも守ることもできず
きみがただみつめるだけの疲労
 - 関係はかんけい自体で
きみの昼と夜の活生が別たれている
いまここの彼岸
そして
小鳥たちの叫びの鋭(さき)の方で
匕首がはしる
生殺しの日々・・・・・・
きみの手の失業か

  -御堂勝(呪海10号1979年)-

記:はてなGの「愚民の唄」2007年04月28日より転載した

愚民的想像力


 人間はどうも逃れようもない幻想をもつように自らの手によって仕向けられている。そんな思いを抱きながら人生の晩年を迎えようとしている自分なのだが、べたにそうかと言えばそうでもないように思うのも人間である。意識の下降する状態に陥ってしまうひとつには抗いようもない死というものがあると云うことも挙げられるだろうし、たとえそれ自身が観念の中で自己完結させようとしても残滓みたいなものは残る。云うならばその残滓みたいなものからあらゆる人間の創造的な営為というものが生まれてくるのだろうと思う。たとえそれがなんの意味がなくとも当の本人にとっては意味も意義もあることに思えるわけだ。たぶん意味はあるのだろうが意義があるとは思えない。創造的思考に虜になった妄念は時間性の方に収斂され個を更に深化させ、そこからこぼれ落ちた雫みたいなものが空間性の方に投げ出される。その雫が幾つかの雫と交わり変容してゆくみたいなものとしてあるのだろう。現実界で妄想の虜になるのは人間が本来持っている自分自身の存在の不快から来るものであり、形なきものの有るかのごとき装われた擬態を見るからである。これは肉体を意識に拠ってしか受容できない人間の在り方から来ている。しかし、やがてそれをも意識されることない世界の存在に気づかされる時がくるのだ。もっともそれは不合理の思考の累積でしか到りつかない世界だ。「壮大なる無」は感覚界全てを取り去った世界である。つまり滓さえも存しない世界、無機でもなく有機でもなく意識の非存在の世界。観念をも消滅させる世界、一切合切が是全て無と云うべきもの、「もの」ではないもの。何ものをの意志さえない世界、幻化というべきものの完全なる世界、佛世界ではそれを捨象して涅槃と云う言葉を生み出した。しかしそれはある意味ではあらゆる整合性を超越したところにしか存在しない。宗教がもつ本来の所以である。その対極にはアフォリズムの果てに自我そのものを宇宙まで拡大して見せた埴谷雄高の「自同律の不快」という言葉。
やがてはその意識が意識できよう。
もしそれと名づけられるほどの意識が宇宙にあるとして。
このきらめく光の変容を瞬きもせずに眺めつづけているとして。
  「意識」-埴谷雄高『虚空』より-

 そんなことやあんなことを考えていた。くだらん、といえばクダラン妄想でしかないのだけど、そんな中でものを書いたりしている。
※写真は埴谷雄高。はにや ゆたか1910~1997。1910年に台湾の新竹に生まれる。戦後の形而上小説「死霊」(しれい)を書いた作家。
記:はてなGの「愚民の唄」2007年01月2日より転載した。
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2007-09-30

『言語にとって美とはなにかⅠ、Ⅱ』出版当時の愚民的考察



ついにじぶんのやってきたことは空しい作業だったかという覚醒は辛いものであった。それゆえ、わたしの主観のなかでは、じぶんの手でつくりあげてゆかねばならない文学の理論は、とうぜん思想上の重荷をも負わなければならないものであった。その時期が、わたしの文学上の最大の危機であり、わたしは少数の言語理論上の先達にたすけられながら、まるで手さぐりで幾重もたちふさがった壁をつきぬけるような悪戦をつづけた。そして本稿によって、わたしは思想上の貴任を果しながらその作業をおえることができたのである。
  -吉本隆明/初出「試行」(昭和36・10~40・6)-

 これは『言語にとって美とはなにか』の序に於いてのさわりの部分である。
 さて上記の『言語にとって美とはなにかⅠ、Ⅱ』は吉本隆明の膨大な著作集の中でも言語表現の構造にメスを入れた労作であり「大作」である事に異論が無いところである。また私達は国内にいまだ匹敵するような類する著作を持っていないことも事実である。吉本隆明はこの『言語にとって美とはなにか』を直接購読制を取った同人誌『試行』((1961年谷川雁、村上一郎、吉本隆明の三名によって創刊され、1997年12月20日第74号で終刊する))の創刊号から第14号までの間連載した。その論は非売品にも近い『試行』の直接購読性ゆえ一部の者だけしか読むことは出来ず、また後年その原稿に加筆訂正をくわえ勁草書房より公刊された「Ⅱのあとがき」にも書いているように『わたしは少数の読者をあてにしてこの稿をかきつづけた。』といっている。そしてそれは成されたわけであるが彼はこれを書き続けている中、沈黙の言葉でつぶやくのである。『勝利だよ、勝利だよ』と。そして公刊について以下のように述べている。
 いままでいくつかの著書を公刊しているので、つながりをもった小さな出版社もひとつふたつないではなかった。しかし本稿はみすみす出版社に損害をあたえるだけのような気がして、わたしのほうからはなじみの出版社に公刊をいいだせなかった。それでいいとおもったのである。最小限、「試行」の読者がよみさえすればわたしのほうはかくべつの異存はなかった。
  -「言語にとって美とはなにかⅡ」のあとがきより-

 これは暗に彼独自の言語構造論がその当時の日本的情況からみれば世界思想に迫ったという自負心の裏返しの心境の吐露であり、孤高であるがゆえの当時の彼の位相を表しているといえるだろう。愚民の目から見れば畏敬せざるを得ないくらいの実に恐ろしい男であったわけである。そしてやがて愚民代表として筑摩書房の編集者((現在は『ハイ・イメージ論』等20冊程度の吉本の著作を出版している。))が出版したいと思うから連載された「試行」を見せてもらえないかと訪ねて来るのである。そして後日、筑摩書房から出版する気が無い旨の連絡が来る。ま、いまでは「ちくま新書」、「ちくま学芸文庫」と銘打って構造主義だわ、ポストモダンだわとアドバルーンを揚げている愚民教養出版社であることを考えればもっともなことであった。また書かれたものの孤高ゆえの商業性を有していない著作でもあったともいえるかと思える。だがしかし、世は捨てたものではなかったのである。勁草書房から優れた編集者である阿部礼次氏がやってきたのである。そしてこの『言語にとって美とはなにか』が我々の目の前に現れたのであった。そして彼吉本隆明は勁草書房の阿部礼次氏へ尊敬と感謝の念をこめて当時を振り返り、こんなことを言っている。
わたしはこのときも、よくよんだうえで本気でよいとおもったならば出版するように求めたと思う。阿部氏はよほど非常識だったらしく、やがて本稿を出版することに決めたという返事があり、わたしのほうもそれではと快諾した。校正の過程でも、怠惰と加筆で散々な迷惑をかけたが不満らしいことは、わたしの耳にははいらなかった。阿部氏がいなかったら本稿は陽の目をみることはなかっただろう。未知のまえで手探りするといったあてどないわたしの作業の労苦よりも、阿部氏のような存在や、本稿を連載中のわたしの周辺の労苦の方が、この社会では本質的に重たいものにちがいない。わたしは本稿にたいして沈黙の言葉で『勝利だよ』とつぶやくささやかな解放感をもったが、阿部氏やわたしの周辺は本稿の公刊からはどんな解放感もあたえられないだろうからである。-1960年7月
  -「言語にとって美とはなにかⅡ」のあとがきより-

 さてわたしも愚民の一人として当時の勁草書房版を持っているのだが「奥付((本の構成内容の一つ。主に書籍名、著者名、発行者名(出版会社)、印刷所名、製本社名、ISBN、発行年月日、版数、定価、著作権表記などを記載したページ日本の書籍では最終ページにおかれる。))」を見ると興味の引かれることに目がいったのである。わたしが買ったのは昭和43年であることがわかるのであるが、このときの「Ⅱ」についての刷数(太字)に注意してもらいたい。
「言語にとって美とはなにかⅠ」の奥付
昭和40年5月20日第1刷発行
昭和43年3月15日第8刷発行
「言語にとって美とはなにかⅡ」の奥付
昭和40年10月5日第1刷発行
昭和43年8月15日第6刷発行
定価 750円

 つまりは「Ⅰ」ほど「Ⅱ」は売れてなかったという見方もできるが、大概の者は当時の流行で購入はしたが、頭の具合がおかしくてというかヴァカなため「Ⅱ」に進めなかったと見るべきであろう。40年前も今も知ったかぶり愚民と呼ばれる者達の「知」の位置は変わらないのではないかと思った次第である。
 そのほかぐぐって見ると結構あるものだ。なかには『積んでるうちに文庫版は「定本」といふのが出ちまひましたが、かまひません。』という積読と呼ばれるものがあることも知った。ニヤニヤしながら以下を読んでいた。なかなか必要に迫られない限り、「言美」は一筋縄でいくような書物ではないのだろうなと思った。
三浦つとむ「日本語はどういう言語か」(講談社学術文庫)の吉本隆明の「解説」を読むことで、やっと吉本隆明の主著「言語にとって美とはなにか Ⅰ Ⅱ」(角川文庫)を読む気になってきた。
「言語にとって美とはなにか」は、誰も最後まで読み通せない点でマルクス「資本論」と同様に有名だが、ご多分にもれず、学生時代から何度挑戦してもダメな本である。
「心的現象論序説」も読みたいのだが、同様に未読だ。
  「晴耕雨読 古本屋の読書日記」より

※その他の参照サイト:

「表出論の形成と複合論-嶋 喜一郎-」
「対話とモノローグ-弁証法のゆくえ-」
「終わりなき〈意識のさわり〉の営み-石村 実-」
「言葉が生まれるところは、どこか。-吉本隆明と糸井重里の対談-」・・・全5回
「言語にとって美とはなにか (冒頭部分)」
記:このエントリははてなGの「愚民の唄」2006年10月30日より転載した。

文学者の老いや自殺とか

 一晩で「追悼私記」読み終える予定だったはずが自分自身が夜まるでダメポ状態により今になってようやく読み終えた。文学者の老いとか病とか自殺とかが満載で、これほど興味深く読んだ文庫は最近なかったような気がする。恥ずかしい話だが「えっ、この人*註1は自殺だったのか」という驚きもあった。ついでに言うならば1999年9月に「文学界」に寄せた「江藤淳記」の最後に書いている吉本自体の老いについて触れていた部分が自分の気持ちを暗くさせてしまった。
眼と足腰がままならず*註2、線香をあげにゆくこともできなかった。この文章が一本の線香ほどに、江藤淳の自死を悼むことになっていたら幸いこれに過ぎることはない。
  -「江藤淳」最後の立ち姿のイメージより-

 その昔四谷の上智大学で行われた吉本隆明そのひとの講演を聞きにいったことがあった。電車に乗るお金もなく当時いた渋谷代々木上原から四谷まで歩いていくしかなかった。自分が畏敬してやまないその人は100人程度しか座れない教室の教壇に立っていて、その精悍な顔と鋭い眼光でもって他を圧するように見えた。吉本は当時40半ばの年齢であったはずである。だが喋りだすと決して巧いとはいえない訥々というか、近所にいそうなオッサンみたいな感じで恥ずかしそうに喋りだし、なんか自分の持っていたイメージを払拭して凄く親近感がもてたのを覚えている。だがそのときの内容はとても理解を超えていて全てが初めて聞くかのごとき世界であった。今考えればその頃もう既に「心的現象論」についての構想が既に始まっていたということになる。考えるだに恐ろしいことだと今も思っている。まさに日本人として前人未到の領域に彼はそのとき既に分け入っていたということになる。その場に居た人間のどれほどのものがそれを理解して聞いていたのかはわからないが、サルトルやフッサールをかじった程度の知識しか持っていない自分では到底理解を超えていたとするのは当然だった。そしてその「心的現象論」は彼が主宰していた直接購読制をもつ「試行」*註3の終刊号(1997年12月20日)まで連載されていることを知ってはいるが公刊で無いゆえに見ることも読むことも出来ない。ほぼ30年にわたってその論が書き続けられているということも驚愕に値するが全貌は推測することしか出来ない。彼は今83歳*註4になるのかと思うがたぶん陽の目を見るのは死後ではないかと思う。口述筆記なのだろうか。ある意味では埴谷雄高が死ぬまで書き続けたといわれる大作「死霊」を髣髴させる。凄まじいといえばそうに違いなのだけれども、なんか妙に寂しいことでもある。
※追記:吉本隆明と共に「現代批評」を創刊した奥野健男*註5が東芝出身の技術屋上がりだということを「追悼私記」を読むまで知らなかった。また当時奥野健男が高分子化学の製造技術に関して特許庁長官賞を受賞した。それに関して批評家平野謙の「推理癖」を平野謙への追悼文「平野さんの神々」において書いている。相当笑わせてくれる内容なのだが最後には笑えなくなってしまった。

註1:文学者ではないが対馬忠行が自殺だったことは知らなかった。1979年4月11日播磨灘で投身、同年8月11日に死体が浮上。思想家、ソ連論に収斂される業績は大きい。「トロッキー選集」の翻訳者でもある。「追悼私記-対馬忠行-駈けぬけた悲劇」の稿参照。
註2:糖尿病、白内障の手術、腸がんの切除手術など多くの病気を抱え、ほとんど歩けず見えない生活。満身創痍。
註3:「試行」全74冊の目次-「吉本隆明全著作(試行)」
註4:2005年11月の読売オンラインに吉本隆明の近況と共に執筆方法が載っていた。また、『共同幻想論』の仏訳がCD化されていることも知った。L'Illusion commune『共同幻想論』フランス語訳。「「肉フライ」 吉本隆明さん」-読売新聞-に於いても好々爺ぶりがみてとれる。視力が衰え、文字を拡大してモニターに映しながら、執筆や読書を行う。とあった。『「●ルーカスWを使う著名人●」』氏の初のCM出演なのか?微笑ましい。
註5:大正15年、(1926年)7月25日東京生まれ。昭和27年東京工業大学理学部化学科大学在学中、文芸部雑誌に「大岡山文学」に書いた「太宰治論」によって一躍注目を浴び本格的評論活動に入る。昭和28年同大学卒業後(株)東芝へ入社。昭和29年「現代評論」を服部達らと、昭和33年「現代批評」とを吉本隆明らと創刊。旺盛な批評活動を行う。昭和34年大河内技術賞、昭和38年科学技術庁長官奨励賞、昭和39年特許丁長官賞受賞。トランジスターラジオの開発に貢献した。参照先「奥野健男 ★プロフィール★」には若かりし頃の文学者達の写真が載っていて貴重だ。この中の写真で生きているのは吉本ただ独りとなっている。
記:このエントリははてなGの「愚民の唄」2006年11月09日より転載した。
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