
さて魂を揺り動かされるという事は一体どういう事を指すのか。フレーズが紡ぎ出すえもいえない空間とは何なのだろうか。それは日頃は感ずる事もなかった「曲(絵画でも良い)」に急に感動を覚えたり涙したりする事は誰もが体験する事である。いわゆる”そこ”が泣き所といわれる所以である。しかし、そのことが本当に魂を揺さぶっているのだろうか。その波長で「気分が高揚したんだ」と。しかしながら私は言う「だからなんだ」と。高揚しない場合もあるのだ。鬱病患者を擬態化させようと目論むα波の音のことを言うのであれば心療内科の医者に任せておけばよいのだ。そしてそのような事を論ずる批評家然とした輩は放置、である。
再びRichie Beirachへと戻ろう。私はpart oneにおいてBill Evans(P)とScott Lafaro(B)の関係を述べたかと思うが、では、Richie Beirach(P)、Frank Tusa(B)、Jeff Williams(Ds) のトリオはどう見えてくるのかを考察したいと思う。BeirachはおそらくこのNardisに向かう前にソロで数え切れないぐらいの試行をしたはずである。時間軸への挑戦である。当然の事である。おのれのNardisとEvansのNardisは時代性の位相差があるからである。今、目の前にある Evansトリオの音楽空間をBeirachはどのように止揚しようとしたのか。いかにもあっけない答えかも知れないがBeirachもEvansのようにしたのである。ご存じのようにEvansのNardisは1Takeだけではない事はよく知られている事実である。かれにとっては何度も何度も極めようとした特別のテーマだったのである。(何故特別なのかという事については後日述べようと思っている。)Beirachはソロで試行したであろう時におのれの時間軸を徹底的に駈け抜けたはずである。そしてその極みにあるおのれを見た幻覚にとらわれそうになったはずでもある。しかし見る事は出来なかったのである。そしてEONでの NardisのTakeに取り組んだのだ。そして後日何度もNardisに取り込まれる事になったのは周知の通りである。果てのない囚われの幻視に向かって・・・。
※このエントリィは「2004-02-26」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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