さてそのB・EvansのナーディスであるがきわめてどのTAKEも思索的である。彼のレパートリーの中でもこの曲だけは時間が経過していくほど形而上学的でもある。JAZZ的にどのTAKEが良いのかという問題ではない。sidemenや環境にもよるからだ。確実に時間性を獲得していく空間として云うのだ。ある意味ではこの曲は示唆的でもあるかも知れない。自己表現としての時間化度の深化を彼がこの曲で試していると言う事にもなるのだ。彼は1980年に亡くなっていて私はその2年前の冬に金沢のコンサートで会っている。楽屋でのきわめて短い時間でしかなかったが我々の質問に根気強く静かに応える彼の姿が印象的であった。ついでに云うならば握手した手が私の倍以上もあった事を覚えている。最初の一音に彼の時間化度が推察され、サイドの音はその後から来る。美しい!だが、これは違う!と云うのが正直な気持ちでもあった。おそらくメロディラインにまで昇華してくるScott Lafaroと自分の意識の中で較べていたのかもしれない。時空の中の「ケルン」であったScott Lafaroこそは彼を時間の極みにまで到達させたのではないだろうか。
※このエントリィは「2004-02-23」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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