2007-05-03

光芒-序-「意識の欠片」

 私にとって宗門は生まれ落ちてからそこに「あった」ということに過ぎなかった。子供の時代から青年期となるまで、それは生活過程の中の「儀式」の一面を見せるものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。また多くの人々にとってそれは当たり前のことでもあると思う。身近な者が死ぬと一族がその家に集まり僧中心とした葬儀が執り行われ、そして火葬され、やがて納骨される。それは宗教と言うより生活に根ざした儀式的なものであり信仰というものから少し離れた位置にあるように感じていた。しかしそれは累々と今も重ねられているものでもあった。今この齢になって初めて自分の意識の隅に取り残されていたこれらの欠片を少しづつ集めて、やがて「その時」を迎えるであろう自分を見つめることも良しと思うに到った。どのようなところへ辿り着くのかは私自身もよく分からないのだが、きっと概念的なものや観念的なもので解き明かされるものではないことだけは確かである。また市井の人間にしか過ぎない私がこれから進めようとしていることは無謀にも思えるのだが凡夫は凡夫としての書きようもあるということではないかと思っている。
 元々は私の別ブログで、あるところにおいて断片的にまとまりもなく書いていたものを再度「はてな」に移行しようと試みたものであることを断っておきたい。もっとも大幅な改編が必要と思い、それならば今後はそのまま「はてな」で書き進めた方が本来の目的にかなうのではないかと思った次第である。もっとも何処が到着点となるのかは全く分からない。だからこそ書くのである。
御影堂
写真は御影堂(京都、東本願寺):世界最大の木造建築物。4度の火災に遭いながらも1880年(明治13年)起工、1895年(明治28年)完成。親鸞聖人の遺骨と御影像を六角の小堂に納め、「廟堂」「御影堂」とよんだ。

 私の死屍を、良い場所に持っていきたい。
 一人の修行僧がバラナシの河の淵で息を引きとりつつあるのを一日中見つづけながら、私はそのように思ったことがある。河の見える聖地の赤土の上で、天空を見つめ一人印を結びながら静かに死んでいったあの男は、何てダンディな奴だ!俺はお前の最後のダンディぶりを写真に二枚残してやった。

     -印度放浪 藤原新也-

 藤原新也の『印度放浪』は今となれば古典的名作であるというべきか。ガンジス川の河原で人間の足を銜えている犬の姿が衝撃的であった。屍を貪るように喰らう野犬たち。ということで仏教の誕生と当時のインドの歴史的背景について話を進めていくことになる。では遥か古代インドへの旅から始めようようではないか。
  -光芒-1-「アーリア人の侵入」に続く- 
※このエントリははてなダイアリ(2005-11-04)から転載されました。