2004-07-11

殺戮

James Ellroy


ぐるぐるまわって、落ちる。
音楽。
闇/光/痛み--腕に注射、狂ったような至福。
光=視界--目を取らないでくれ。
ぐるぐるまわって、落ちる--すべてがビーバップに同調する。
チャンプ・ディニーンのリフ--ルシールとリッチーが天国からゆらゆら落ちてきた。
汗--寒気が顔をなぶる。誰かの顔--年寄りの顔。
突き刺さる針が痛みを食いつくす。
腕に麻薬注射=とち狂ったような至福。
すべて--ぐるぐるまわって、落ちる。
頬のざらつきで半ば幸福に--濃い不精ひげ。
時間--闇に差し込む光、闇に差し込む光、闇に差し込む光。
眼鏡をかけた男--おそらくは夢。人声--夢心地、半ば現実。
音楽。
  -WHITE JAZZ(ハッシャバイ)-
  James Ellroy
   佐々田雅子 訳


サイレンサー付き三八口径リヴォルバーで最後の殺戮に向かう。
暗黒小説の四部作の最後になる「ホワイト・ジャズ」から抜粋した。

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2004-07-10

乞食(こつじき)の念仏者

教行信証もしくはkakoさんへの返事

・・・ するとわたしたちは、一介の捨て聖として振舞っている無名の念仏者に宿った、巨大な思想という驚くべき矛盾した像を得られる。かれは同時代に、ほとんどじっさいに接した人々のあいだにしか知られなかったし、知られないように振舞った非僧非俗の風態をとった念仏者だった。だがかれが人格的な雰囲気と口調によって伝えたものは、比類のないほど巨大な独自の思想であった。この矛盾したかれの実像が、たしかな姿で得られたならば、親鸞の思想家としての姿はとり出せたことになる。わたしは最後の親鸞と名づけて、じぶんなりの親鸞の実像を描こうとした。
       -最後の親鸞(序)-
         吉本隆明




・・・『教行信証』はその正しい名が示すように「文類」であるから、多くの経論釈疏の引用をたてまえとするが、それを中心に据えて、その間に親鸞の理解を展開していく、そうした箇所がこのような言葉で始められ、あるいは書きつがれているのである。これは親鸞がみずからの考えを先行の典籍をしっかりふまえて論証しようとする姿勢に終始したことを語る。・・・
註(nam):このような言葉とは以下のような表現である。『だからここに』とか『だからこそ』とか、『したがって以上のよう見るかぎり』
       -『教行信証』のこと(抜粋)-
            石田瑞麿


さて、このようなことでkakoさんのcomentに対応しているのかどうか分からぬが、参考にはなるかも知れません。親鸞の生きた時代は仏典が学問の頂点であり、哲学でもあったと思われます。聖は一念仏者として”生きる”と云うことを一生問い続けたのであろうと思われます。当時の時代の「信仰心」の反逆者として。また、生活者として。その果てにみえた「佛智」、極限の思想。『教行信証』は私には大論理学のように聳えております。まして、いかの吉本隆明とはいえ聳えているものには違いなかったと思います。乗り越える「思想」としてです。
信というのは一宗教の能書きの一つと言い放つには重いものがあります。旧約聖書で神から試され続けるアブラハムの信仰心のように。
他力本願という世界はまさしく「信」を問うているのだと思います。すべてを無にした涯になにがみえるのでしょうか?kakoさんも歩むなかでしかおのれを視ることは出来ないでしょう。

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