2009-01-27

吉本隆明の「中学生のための社会科」

 昨年11月の「南無の日記」でもとりあげた吉本隆明の『中学生のための社会科』について再度言い足らなかったところを若干付け足して述べてみたい。もともとはミヤタさんのブログ「老いについてもう一度」-miya blog(要介護4の妻との介護&どたばた生活)2008年10月09日 -を読んで興味を持ち始めたのが動機である。この本に対する吉本の思いは巻頭に記されている。吉本隆明のおもいのすべを伝えるために引用文としていささか長いかも知れないが本書の位置づけを著者自身が述べているので巻頭文の「全文」を下記に転載した。
 はじめに
 この本の表題として『中学生のための社会科』というのがふさわしいと考えた。ここで「中学生」というのは実際の中学生であっても、わたしの想像上の中学生であってもいい。生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する軟らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずらわされずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳をもっている時期の比喩だと受け取ってもらってもいい。またそういう時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから「しまった!」と後悔したり、反省したりしたわたし自身の願望が集約された時期のことを「中学生」と呼んでいるとおもってもらってもいいとおもう。
 ただ老齢の現在までにさまざまな先達、知人、生活、書物などから学んだり刺激を受けたりしたこと、体験の実感から得たものがたくさん含まれているが、すべてわたし自身が考えて得たものばかりで、模倣は一つも含まれていないつもりだ。これがせめて幻想を含めた「中学生」にたいする贈物だとおもっている。
 さあ、このくらいにしてあとは読者の理解や誤解の「自由さ」にまかせよう。
  2004年12月 吉本隆明記
 -はじめに「中学生のための社会科」より-

 この巻頭文を読んだ時に本年1月4日教育テレビで放映されたETV特集『吉本隆明が語るー沈黙から芸術まで』で見せた彼の妄念みたいなものを了解し、老いてはいるが思考ということに関しての極を我々に見せつけたのだと思った。この本についても簡易に書かれてるゆえの重たさみたいなものを感ぜずには居られなかった。
 大まかに言えば三つに分けられた章になっていてそれぞれを独立したものとして読むことも可能である。「第1章-言葉と情念-」となっていて詩作や詩表現から始まり古典に拠る日本語としての言語論も含めて我々にとって馴染みのある『言語にとって美とはなにか』で述べられてきたことの真髄が簡潔に述べられている。「第2章-老齢とは何か-」においては身体と意識の乖離からくる老いの認識についての識知とされているものへの批判的止揚として自らの身体とそれに伴う意識の現象において私達にとって非常に興味のある分析を行っている。特に72歳だったか、ちょっと失念しているが吉本自身が静岡の海岸で溺れた時の事後記録【溺体体験以後の後遺現象】については譫妄体験を語っていて、私が正月早々体験した前妻の低温療法手術後の譫妄現象と重なり個人的にも非常に惹かれるものがあった。また「第3章-国家と社会の寓話-」に於いては国家、民族、社会という共同体のはざまで生きるにあたり、共同性と個人という生き方にまで言及している。またこれらの章は吉本隆明を少しでも読んだ者にとっては既に聞き慣れた内容も含まれている。或る意味では吉本隆明の大著である『言語にとって美とはなにか』であり、『共同幻想論』であり、『心的現象論-序説-』で述べられてきたものと重なり合うと見る向きもあるかも知れないが一つの情況論として捉えるなら、より現在的であり優れた著作として読むことが出来るだろう。いうならば決して大著ではないが一種の飲み物としてたとえるなら濃縮ジュースみたいなものであり、初心者にとって難解な言葉を選ばず核なる部分を出来るだけ平易さを意識されて書き下ろされているのではないかと思う。だからといって取り上げられている項目内容の質については決して普通で言うような平易なレベルでもないところがミソではある。
このエントリィははてなダイアリ「愚民の唄」2009-01-23に書かれたものを加筆、編集し転載しました。
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