2007-06-30

翻訳詩とはなにか

 まず最初にqfwfq氏の『・・翻訳詩の問題』を興味深く読ませていただいた。一応今のところまだ「はてなダイアリ」において連載中であるということを断っておきたい。またそれにも関わらず私のようなものがこのような論を進めるには問題があると思うがそれだけ私を突き動かす内容があったということで許されたいと思う。qfwfq氏がまず取りあげている『訳詩と創作詩』の持ちえる問題点についての吉川幸次郎と大山定一とのやりとりにはいたく興味を持たされた。もう一度落ち着いて読み直し、何度もこのエントリィに書かれている内容を考察し、語を置き換えたりしている自分に気づき自嘲していた。氏の言う通り『詩的言語のベクトルの違い』って言うしかないような気がするのではあるが、吉川幸次郎のいうところの「文人の翻訳」、「学人の翻訳」というところで哲学の分野にまで入ると、まさしく「学人の翻訳」ってことになるんだろうな、と妙に納得もしてみたりした。こと文学の範疇に入るものには問題点がたくさんあるようだ。では始めよう。
 いきなりになるのだがアルチュール ランボオの「地獄の季節」の代表的な新旧の翻訳文を下に並べてみた。「新」、「旧」というにはあまりにも誤解を招くような気がするが、あえてこの試論の始まりに、とさせてもらった。
 ***
 かっては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった。誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった
     -「地獄の季節」(序章)小林秀雄訳(ISBN:4003255216)
 この訳についての小林秀雄自身の若干の補足が『訳者後記』で書かれている。それによると自らの手の「旧訳」があり鈴木信太郎からの勧めもあり誤訳も含めて「改訳」をしたということがうかがえる。その旧訳というものがどのような訳であるのか分からないのであるけれども1970年4月の後記において小林はそう記している。

 そして下が宇佐美 斉の手になる訳である。

 *****
 かっては、私の記憶に狂いがなければ、私の生活は宴だった。ありとあらゆる人の心が開かれ、酒という酒が溢れ流れた宴だった。

     -「ランボー全詩集」(序章)宇佐美 斉訳(ISBN:4480031642)
 小林訳と比べると明らかな違いが分かる。また、詩集の題である「地獄の季節」についても宇佐美も言っている通り原文では数の概念が明らかに意味として付与されているがなじまないのでその表現を避けたと書いている。一応「地獄の季節」としての詩集自身の題について原題と直訳は以下の通りである。

UNE SAISON EN ENFER
地獄で過ごしたあるひとつの季節

 余談だが篠沢秀夫はあえてUNEを捉えて『地獄での一季節』と訳している。翻訳詩が大なり小なり意訳であるとするならば宇佐美 斉も言うとおり「説明的な訳」を避けるということは重要である。では説明的な訳というのを避けることが出来るのかというと、出来ると私は思うわけです。翻訳に対しては「脚注」という手立てを労することが出来るからである。その点、宇佐美訳の『ランボー全詩集』は構成的に優れたものを持っているといえよう。
 qfwfq氏はエドワード ゴーリーの翻訳の多い柴田元幸の『翻訳教室』(新書館)(ISBN:4403210880)から詩の翻訳問題に触れ、原詩を訳する事の難しさを例を挙げながら翻訳の持つ問題性を述べている。五回にわたって書かれていて今後も続いていくのだと思うが私は私なりに興味の惹かれるところを書いてみたい。
以前ここでも、ケストナーの詩を、板倉鞆音、小松太郎、飯吉光夫の三人の翻訳で掲げたが、訳者によってまるで別の詩のように見えるということはめずらしくない。小説では、まるでちがう小説に見えるということはないけれども。
 こと翻訳された詩についてだけは誰もが感ずるところだと思う。小説については後日に回すとして、詩的言語に限って何故こんなにも問題が多く、また過去に於いて何回も繰り返して論ぜられたのか、という事に尽きる。私の身近なところでは最初に挙げたアルチュール ランボオの「地獄の季節」がそうである。若い頃は小林秀雄訳や堀口大学訳(ISBN:4102176012)でこってりと読み後に粟津則雄訳ISBN:4087520307が出、そのほかランボーの詩訳としては清岡卓行(ISBN:430920175X)、篠沢秀夫(ISBN:4469250384)、鈴村和成(ISBN:478372511X)やまた仏語の翻訳者として平井 啓之らが刊行した『ランボー全詩集がある。また手軽な価格と内容の充実ぶりで読みやすい新訳として宇佐美 斉訳もある。もっとも宇佐美訳やその他の訳者の訳は「地獄の季節」だけではないから本としての単純な比較をする事は出来ないのだけれども、それぞれの訳文の受け取り方は違いがはっきりしていた。このことはやはりqfwfq氏も言っている『詩的言語のベクトルの違い』という事になるのではないかと思う。つまり訳者側の詩的言語に対する感性的了解性に繋がるともいえるだろう。小説はどちらかといえばいったん空間的に場所性を仮構しようとするのに対して詩的言語はひたすら時間軸に馳せ上がっていくからとも言えるだろう。この違いをして詩の翻訳の困難性を示していると言える。
 そもそもが外国語で書かれた詩とはなにかという事にもなるのだけれども、残念ながらリアルな外国語を目の前にして詩として映らない私のような凡人にとっては紙に印刷されたアルファベットか、もしくは、それに類した異国の文字でしかない。これが視覚というものを介して認識する大きな前提のひとつである。もっとも当然読めないわけであるから伴うべき、内的言語という韻の問題は内包出来ないでただ影の部分で在るという形でしかない。では外国の言語を違和感なく詩として認識できない私たちからすれば、どうするのかと言う事になるのだが、つまりのところ翻訳者の手になる「詩」を詩として読む事になる。ではさらにことを進めると翻訳化された詩についての私たちの意識のあり方はどうなのか、ということになる。これについては読み手は少なくとも翻訳されたその「詩」を「詩」として既に受容している態勢にある事も想像に難くないだろう。つまり詩に対して概念が既知として意識の中にあるという事も言える。そして日本語に翻訳されたその「詩」には日本語としての隠喩や音韻が伴い、読みながら内的言語も発しているはずである。このことも決して無視する事の出来ない前提としての二つ目である。
 そして「詩」とは何かという事にもなるのだけれども、そのあたりの事についてはこの論の本筋から外れていく場合もあるのでqfwfq氏の言っている「原詩」、「翻訳詩」という線上で考えてみたい。
 qfwfq氏は「すべて世は事も無し――翻訳詩の問題(1)」において取りあげている折口信夫の『詩の翻訳は必ずしも詩である必要はないという。文学から文学を創りだすのは翻訳として邪道である』という論や篠田一士の『原詩を尊重するという』という立場からする以下の篠田の指摘した部分は翻訳詩に対するきわめてエッセンシャルな部分だといえる。
『原詩をいろいろに変え全く似ても似つかないものにしてしまうのは、翻訳としての機能が十分に果たされたとはいえないということです。』
 つまり翻訳という手段を経た「創作詩」なるものの問題点の指摘である。そう言う意味で厳密にいえば日本語化された「詩」は似て非なるものであるといわざるを得ないだろう。とどのつまりはこの論法で行くと翻訳文学は文学といえるのかまでに行くことになるのだが・・。「詩は何処にあるか――翻訳詩の問題(3)」においてqfwfq氏の言わんとするところは大山定一訳と茅野蕭々の訳を富士川英郎が対比させたことにまさしく現れていると言えよう。私もこの論の始まりでアルチュールランボオの「地獄の季節」の訳を対比させた。これは読み手の想像力が詩句の持つ言語のどのあたりで像として結ぶのかも含めて対比すると違いがよくわかるからである。更に言えば翻訳されたどの表現が読み手に詩としての「美」を感ずるのかと言う事にもなる。
「詩は何処にあるか――翻訳詩の問題(3)」でも『銀座通りに、その軒をつらねている大廈高屋の群』と書かれたように訳者の数と同じ訳詩があるのも事実であるが、そこにおいて名訳であるとか、ないとかという事は本当の事からいえば妥当な言葉なのかどうかだが、これはある意味では妥当でないと思える。
 たとえば原詩に対して二つの訳があったとするならば並べて比較できるではないかという事になるのだが、そのいわんとする「比較」がそもそも問題になる可能性を秘めていると思うのだ。qfwfq氏も言う通り文語調か口語調かの問題でもないし、さらにいえば好きとか嫌いとかの問題においそれと横滑りさせるわけにもいかないところもある。だから勿論、芸術家気取りでいうところの「格調が高い」と感ずる問題でもないといえるところもある。先程私は「美」という言葉を使ったのだけれども、もっと慎重に使うべきかなと今は思っているわけで、いうまでもなく言葉を使った文学が芸術というならば芸術の範疇に文学があるというわけになる。
 芸術でいうところの「美」は何を指すのかといえば、文学に関しては「言語表現」という事に向かっていく。原詩の作者の意識の表象である、突出された言語表現が一つの作品になるということを意味することになる。言葉に表現せずにはいられなかったものが詩だとすればそれは一種の意識の混沌とした中から徐々に形を露わにしていく中で昇華された言葉でもある。そういう事を前提として考えるならば翻訳詩を考えるときに一つは原作者の表現した言葉の恣意性というものが読み手に通じているのかという事も大切になってくる。このことはわかりやすく言えば言語が持つ意味性も含めて作者の思想性というものがはっきりと伝わっているのかという問題にも突き当たるわけになるだろう。そしてまた意味性から表現美へまでを包括した先に表現されたもの、つまり「美」があるものであればそれを的確に伝える事が出来たのかがその翻訳の真価があるのだと言えるのです。ところが元々言語にはそれの持つ特殊な性質というものがあり書かれたものの客観的有り様からすれば、それを逃れ得ないものもある事を忘れるわけにはいきません。言葉の意味性とか恣意性からくる表現された中に内包している情動とかのことに論を進めると、それはもう論が途方もなく広がり続け私のような者には書きようもなくなる事も事実だ。ただ以下のことは言えるのではないかと思われる。
 原詩の書かれた時代性は重要である。その時代性を踏まえて翻訳者は翻訳するべきである、と。しかし、これはまた違った意味で問題点を多く含むことになってくる。言語表現がその歴史の累積の上に立つものとすれば古典と呼ばれるものの翻訳が問題になり、翻訳者の多角的な視点も必要になるからである。しかし、このことは或る意味では古典翻訳の前提条件に等しいことから読み手にある程度の前提も成り立たせてしまうことが出来る。「これは古典だから脚注も参考にすればいい」とか「現代語訳として意訳しているのだろう」とか思わせることも出来るということである。そうなればその古典の価値の一つに現代的意義という一項目を付け加えると言うことにもなるわけです。これは意訳がいいとか直訳がいいとかと言うことではありません。また古典についての価値の問題はこの論の本筋ではありません。
 先程、私は「時代性」ということを書いたが、では近いところで20世紀や今世紀に書かれたものの翻訳についてはどうなのかということになる。生物学的なことを持ち出すのは突飛なことだと思われるが、読解力について考えると、人の寿命というものは、およそ半世紀強程度の生物学的時間というものがあると思われます。痴呆とか加齢から来る根気無さとかを除外すれば読む力が何十年とあるわけです。無論、歴史は動いていき己の世界観にも影響されます。そして時代性という言葉を借りれば50年や60年の読解力の寿命があるとするならばその50年、60年を幾つかにまた細分化することも出来るわけです。しかし連続性を持つ時代性に生きているわけですから余程のことが起きない限り感性もその累積性の中で変容していくと思われるわけです。言語の特性を「潜在的に置き換え可能な語」として二つのファクターとして分けたのはソシュールだと思うのですが彼のいう言語の価値のなかで言語の対他的関係について言及している部分があります。これは強引に読み解けば言語の動的記号学みたいなものだと思っています。しかしソシュールのいうところの言語の相互依存という特性を考慮に入れれば、言語がその時代性によって相互補完的に変容していっていると言うことが或る意味では言えるわけです。とするならば翻訳している者にとっても時代性を例外とするわけにはいかなくなるということを意味する。何といっても翻訳者もそれなりの時代性に生き原詩と向き合ったからである。
 さてqfwfq氏は「キルヒベルクの鐘――翻訳詩の問題(5)」においてリルケの「海の歌」に関して高橋睦郎(*註1)の言葉を取りあげていて、この高橋のいっていることはきわめて示唆的である。

 そして大山訳は「海原から太初の風がそうそうと吹いてくる」といったふうではなかったろうか。私は大山訳のほうがなめらかでいいと思った。しかし、井上さんはリルケの原文を朗朗と読みあげたうえで、高安訳のほうが原詩の響きをよく伝えている、と断言された。大山訳は意訳がすぎる、とも言われた。

 これはqfwfq氏が何度も繰り返して取りあげてきた先人達の議論の本質を言い当てている。高橋にとって心地よく響いてきた「訳」は原詩から遠いということであり、原文の響きが伝わる「訳」にはそれがなかったことを暗に指している。氏はさらに原詩を離れる翻訳の問題点を一種の集大成として論じた川村二郎の「日本語の世界」ISBN:4124017359に求めている。そして川村の論について氏は以下のような思いで見ている。但しこれは決して氏が川村に同意しているものではないということを付け加えなければならない。

川村のこの論文を読んでいたら、私はこの「翻訳詩の問題」について書かなかったにちがいない。仮に書いたとしても、このような書き方にはならなかったろう。私が書いたようなことはすでにこの論文に言い尽くされている。

としている。実に読みようによってはqfwfq氏の書きようは神妙である。川村の言っていることは既に私たちが思っていることの代弁に過ぎなく、それから一歩出ているものではない。私は意訳が『形容過多』であるとか、ないとかという問題に集約されるものでもないと思っている。いささか長い引用になるが川村の言葉をqfwfq氏の書かれたものからピックアップして挙げよう。

『なくもがなの気取り、ことさらな思い入れ、それにもとづく原文の歪曲や改変が、訳者の手前勝手な自己陶酔と見えて、興を醒ます例も少くはない。だが、取り立てて気負った様子を見せることはなしに、しかも訳者の細やかな工夫趣向が、原文に食いこみ原文とまさしく契りを結んでいると合点される場合があって、そのような時には、これこそ翻訳の勝利と膝を打ちたくなりもするのだ』

『その成功は、原文をダシにした舞文曲筆、原文をいわば発想の契機にした上での恣意的な即興演奏、といった所ではなくて、むしろ逆に、原文が何を表現しようとしているか、思いをこめて見据えた末に、相応ずる日本語の表現を自己のうちから掴みだしてきた所で叶えられているのである。』

『吉川ほどの学識も見識もない研究者が、原文への忠実という名分を後生大事に信奉しながら、安全第一の及び腰で、無味無臭無色の訳語を一つ一つ原文に当てはめて行く退屈な光景を眺める時、なまじいな素面の状態が悪酔いよりも高級だとは、なかなかもって定めかねるのである。』

 今までの論点を俯瞰したかのような川村の言葉である。しかしそうであろうか。『意訳がすぎる』ということに翻訳の持つ問題点、いわば濃淡を付けることでいいのだろうかと言うことにもなる。そして今さらながらに思うのは今日の翻訳者側からの視点が私たちにうまく伝わっていないことも言える。
 原文がそれ自体で独自で比喩に充ち満ちていて全体がメタファーに覆われているケースが多い詩の翻訳はそれなりに訳者の読解力を要求されることは想像するに易い。それはあらゆる言葉が一つの意味を獲得するためだけに書かれているのではなく様々なイメージの転移が無造作のうちに書き印されているからである。意識の志向性を表現された言語のうちに読み解く作業がまず翻訳する者の目の前に現れ、直喩や暗喩に覆われた原作者の世界観と対峙することになるということになる。つまり、ことはそうは簡単にいかないのである。
 qfwfq氏は「光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4)」においてG・K・チェスタトンの言葉を借りて欧日の翻訳詩だけでなく欧々あるいは欧から英へ翻訳されたものについても本質的に同じ問題に行きつくことの可能性を示唆している。ただこれについては言語圏を「越える」という、或る意味では迂回路を辿った場合はどう変わるのかについての問題は残されると思う。たとえば南欧語から英語へさらに日本語へというケースを想定した場合等の事などであるが、しかし私はここで香具師的に論を横滑りさせるつもりはない。qfwfq氏はギリシァ詩人であるサッフォの詩を比較した森亮の「夢なればこそ」に向かう。このなかでの論こそが訳の濃淡の決め手であるところの核が述べられているからなのだ。

 そこには七五調四行の定型と「みめ/ひと ひと/みゆる」の「頭韻の組合せが、初めの二行に魅力を添えている」と論じる。「詩の翻訳は原典から離れるにきまっている。成るべく少なく離れながら、詩としての生命、人を酔わせる魔力、を持つように工夫するのが訳詩のこつ」であって、呉茂一は「そういうこつをいみじくも体得した人である」と森亮はいう。
 「外国詩の本当の良さ、美しさはそれが書かれた原語で読み取るほかはない。(略)どうせそうなら、訳詩は訳詩として生きる道があるはずだ。原詩の良い所は骨までしゃぶる欲深さで吸収しながら、独立して鑑賞できるような詩をつくり上げることである」(「詩を翻訳する」)と述べる森は、ときには原詩を離れ「思い切った意訳」をも厭わない。翻訳詩における二つの立場の、一方の旗頭ともいうべき存在である。

 まさしく原詩の美しさは書かれた言語で読み取るしかない。しかし訳詩としての値打ちはあるはずである、ということであるが、森が述べているのは読み手という立場を越えるものでもなく、森の持論を感性的な部分で述べているに過ぎない。ここでも森の言うことは今までの先達たちが述べていることと取り立てて異質なものではない。このようにしてqfwfq氏は様々な論を挙げつつ再び『原典に忠実』であることと『人を酔わせる魔力』の二つの立場の狭間に立つ。しかし qfwfq氏の論の志向性は断片的ではあるが既にばらまかれているのである。もっともこの私のものの言い方にはわたし自身が氏の論を歪曲化していくのではないかと恐れを抱くのではあるが、進めるにあたっての無礼を請うしかないだろう。所詮私も興味のあるところにしか論は進まないのだ。
 そしてqfwfq氏は意図的であるかどうかは横に置くのだけれども、こんなことも言っている。

 ドイツの詩を、そしてドイツ文化を称えた編者の言葉は、昭和十六年という年代を抜きにして受け取るわけにはゆかない。

 年代と言うことを想定したときに、そこに二層ではあるが位相的に並列化された人物像を浮かべることが出来る。原詩者の取り巻く世界と訳詩者の取り巻く世界がいわば「世界」として相互的に存在しているのかということである。これは言語の本性を考えるときに非常に重要な部分である。それでこそ翻訳詩が詩であることが出来るのかということにも繋がるのではないかと思える。翻訳詩が詩として自立出来るのかということがqfwfq氏のいう論の方向であるならば比較論証を経てどこに軸足を置くのかと言うことになる。
 ここでいったん翻訳の世界から翻訳者自身の声も私なりに聞いてみる必要があると思う。いささか長い引用になるがロートレアモンの「マルドロール」を訳したあとの渡辺広士の「あとがき」を以下に記してみた。翻訳者としての技巧上も含めて核心に触れていることが多く書かれているからである。

 おしまいに翻訳上の工夫について述べておくと、「マルドロール」の文体を日本語に移すことは恐ろしく困難であった。それは恐ろしく息の長い文章であって、いつもそうなのではないが、短い文章でてきぱきと叙述が進んでいると見る間に、一つのイメージ独特の推論によって蛇のようにうねり、渦をまいてえんえんと伸びはじめる。フランス語では一つの命題を、このように一つの文章の中で次から次へと展開させて行くことが可能である。この展開の自由な調子がロートレアモンの文体の特徴をなすもので、その圧倒的な調子は、フランス人の詩の朗読のレコード*1を聞いてみれば、「マルドロール」だけは恐ろしい勢いで朗読されているのをみてもわかる。ところがこれを日本語に移すと、必ず動詞を最後に置かなければならない日本語は、長くなると全体の意味がわからなくなるのである。ぼくはしかし、原文と同じぐらいのわかりやすさと、同時に原文の息の長さ出すために、いくつかの工夫をしたが、どこまで成功しただろうか?句点になるはずのところに読点が入っているのも、原文の頭からピリオドまでの勢いを生かそうとしたもので、できればそのように読んでもらいたい。読点から次の読点までが長い個所も、同じ意味の工夫のつもりである。

 いかがであろうか。これは別にフランス語に限ったことではなくあらゆる言語に当てはめることが出来るということで「翻訳」にあたっての渡辺の苦心を引用してみたのだ。喩のことを蛇がくねる例えのように言っている。これは突き詰めて言えば詩句の一行での隠喩とかを指しているのではなく全体が喩であるということも含めて言っていると我々は理解しなければならない。それでも渡辺は原詩を前にして自分自身の衝動が抑えられなくロートレアモンに挑むことをやめなかったのである。それは下記の渡辺の言葉でもわかるだろうと思う。

とにかくロートレアモンは、本当の意味で日本にももっと消化されなければならない重要な詩人である。栗田勇氏の苦心訳があるのに、あえてぼくがもう一つの訳を出すのは、この重要な詩人に違った解釈のもう一つの訳があってもおかしくないはずだと考えたからである。

 翻訳者としての使命感と渡辺自身の固有な時代性の感性的な発露である。つまり渡辺自身の想像力がロートレアモンを通すことによって現代的意義の世界観への確立へ向かいたいという欲望である。これはとりもなおさず原詩が繰り広げた世界に彼なりの普遍性を見いだしたからに他ならない。この渡辺が抱いた『違った解釈』で訳したいという欲望は訳者と原詩との間で対自的な関係が出来たということもいえるだろう。またこのような時、もちうる意識を同じく「マルドロールの歌」のもうひとりの訳者である前川嘉男は以下のようにも言っている。

(前略)著者の死から百二十年たった今日でも、全ての誤解がぬぐいされてはいない。とくに日本では。だからこの翻訳は、ながいあいだの世界中での、彼と彼の作品についてのおびただしい誤解に向けての、ぼくの怒りと回答でもある。まるで作者その人でもあるかのような偉そうなことを、いま言っているぼくとロートレアモンとの、四十一年前の出会いそのものが、やはり愚かな誤解にはじまっていた。
 一九五〇年春、まだ木造だった新宿紀伊國屋書店二階の洋書部で、十九歳のぼくの手に偶然ふれたのが、ジョゼ・コルチ社刊の『ロートレアモン全著作集』一九四七年版で、パラリとひらくと(フランスの本はふつう仮とじなので、どうしてもグラビヤが最初にひらく)そこに、サルヴァドル・ダリが例の偏執狂的批判方式(パラノイアック・クリティーク)で一九三七年に描いた「十九歳のロートレアモンの空想肖像画」があった。それは夢のように漠としていたが、あまりダリらしくない写実風のものであった。なんとそれを、ぼくは女だと直感し、その変な美人画と「十九歳」につられてその本を買い、自室にもどるとすぐ読みはじめた。著者は「ロートレアモン伯爵(イジドール・デュキャッス)」で、伯爵夫人でもなんでもなかった。一昼夜半、ぼくは部屋から出ることも、眠ることも、食べることもほとんどせず、その本の二百六十七頁をともかく読了した。当時のぼくのフランス語読解力にすれば、そのスピードは奇跡であった。読み了えたとき、もちろん不十分にしか理解できなかったが、もう一度読めば気が狂うことだけはよくわかった。ぼくはそれを柱に、三寸ほどの釘で、金槌を使って打ちつけた。二度と読めないようにしようとして。だがぼくの非力と不器用さのため、釘の先端は百頁までもとどかず、それは床に落ちた。ぼくは拾い上げ、釘をぬいた。口絵のダリのロートレアモン像の、口の中央の正確に上唇と下唇のあいだに、穴があいていてぼくは、涙をこぼしてしまった。そんな出会いが、ぼくのその後の四十年を支配したのである。

 前川はこのようにロートレアモンとの激烈で熱情ほとばしる衝撃的な出会いを述べている。だがここで惹かれるのは渡辺も前川も己こそが原詩の世界観が描ききれるのだという自負心である。そこにおいては既翻訳では到底満足できるものではない、というそれはほとんど神の啓示にさえ近いものである。
 ここでいったん原詩の前に立つ翻訳者という位置を想定してみることにしよう。彼と原作者が同時代でないとしたら、まずはその描かれた時代背景に当然思いを馳せているに違いないと思われる。またそのことが一種の足かせになることも知っておきたいことの一つであるが、訳す行為の中に何をどこまで、ということも範疇に入れて組み立てなければならない。そういうことも大きな問題の一つとも言えるからだ。 欧米文学の翻訳にあたっては文化習慣はもとより生活土壌にあるキリスト教的共有観念を考慮に入れなければならないこともある種のネックとしてあると思えばいいだろう。ま、こうなると論は果てしなくなり本題からもずれてくるので「固有なその共同体(言語圏を同じくするという意味)の文化」という大さっぱな概念をもてばいいだろう。そこで、あらためてqfwfq氏のいうところの原詩が同じであるに関わらず「翻訳詩」が訳者によって異なったもののように読み手に映るのだろうかということを考えてみたい。
 その前に私が『読み手は少なくとも翻訳されたその「詩」を「詩」として既に受容している態勢にある』といった事を覚えておられるだろうか。これは私なりの考えを進めるにあたって基本的な姿勢であり、「翻訳詩」は本来こうであるべきであるという論証をいわば無視した形になると思う。またそうでなければ論は不透明さを帯びた形で堂々巡りしかできないように思えるからである。いまも上で言ったように訳者が違う「翻訳詩」がそれぞれ読み手に異なった詩に映るのかと言うことになるのだが、これは文字が違えば違うだけのイメージを読み手がもつからに他ならない。qfwfq氏が「光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4)」において森亮のサッフォの訳詩の比較したあとで氏自身がカロッサ(H Carossa)の訳詩を比較している。

  盲人     片山敏彦訳

 日のひかりが夏の森に射し入り

 人々は、ほの温かい砂を踏んで歩く。

 だが森のそとで樹木(きぎ)を背後(うしろ)にして

 明るく白い路の上に、手風琴を持って盲人が

 明るい光の中へ、暗い歌をうたっている。

(後略)

   めくら     板倉鞆音訳

 太陽は夏の森に照りつけ

 人々はなまぬるい砂の上をぶらついてゐる

 けれど木立のまへ

 明るい白い街道には

 風琴をもつためくらがたち

 暗い歌を光にむかつてうたつてゐる

(後略)

 『明るい光の中へ、暗い歌をうたっている。』と『暗い歌を光にむかつてうたつてゐる』では明らかに言語の仮構するものが違う。ある意味で訳者が選択した言葉(文字)が違うからである。しかし選択した文字が違うと言うことは何を指すのかと言うことにもなる。本質的に文字は対象物を意味するための一つの人間の意志の交通手段であるところのものを超えたところにある。対象が眼前になくともその対象物を文字でもって指し示すことが出来るわけである。したがって読み手はその文字からその読み手の意識の志向性によって像領域を描くことが出来る。そうであるならば読み手の想像力*註2によって文字を像に置き換えているということになる。これはある意味では読み手の数ほど像領域があるということにもなりかねない。読み手のそれぞれが年齢や生い立ち、環境、が違うところで感性の位相が想定できるからである。では言うが、原詩を知らずして我々はどちらの訳詩が優れていると感ずるのであろうか。はたして諸先達やqfwfq氏がいう通りの解釈でいいのだろうかということにもなる。たしかにqfwfq氏は『おそらくは原詩に可能な限り添いながら、殆ど訳詩と思わせぬまでに完成された翻訳詩として、板倉鞆音の訳は集中の白眉といっていい。』というように原詩を読んでいて知っていることは我々にも理解することが出来る。しかし一種の翻訳力の優劣についていえば、それとこれとは本質的に違うんじゃないか、と言いたくなってしまうことも否定できない。いわば個人の嗜好性とまでは言いはしないが、その危うさが無いとはいえない。私は『読み手は少なくとも翻訳されたその「詩」を「詩」として既に受容している態勢にある』ということを言った。ならばそこには原詩の存在は意識されない意識の内にあると言うことにもなる。
 ある時代に生まれた人間は既にその時代の世界を選択している。それはその人間における存在のあり方であるといえよう。これはとりもなおさず人間のありようが世界との関係でしか述べれないということをあらわしている。
 さて私の論は次第に終わりに近づこうとしている。翻訳の問題は確かに表現の問題である。であれば言語表現は人間と世界の関係の仕方を表象するものである。それゆえ私たちは表現の中に普遍性を求めようとする。読みながら世界観の認識にまで観念が馳せ上っていこうとするからである。つまりその翻訳による表現が確かにその時代性の感性を全円的に表現していればいいのである。文字による表現が確かな像を喚起させればそれにすぐるものはないのである。
 たとえば明治や大正時代に翻訳されたものを読むときにあらかじめ読者はその翻訳が百年も近く前に翻訳されたことを知っている。現在という面を物理的時間に切り取るならば翻訳された表現もそれによって読者の意識が規定されたことになる。私はそのことを時代的に古い表現であるから無価値であるかという問題を言おうとするのではない。言語表現が意味性をまとった恣意性にあることを読み手が既に知っていることはその表現された文字から当時の時代性を考慮の範疇に既に入れて全的喩として読み解いているということになる。これは一種の迂回的な解読に近いものであるといわざるを得ない。読み手からすると文字が極自然に像領域を作り上げていくほうが意識に負荷を与えることを避けれるのである。では私が言った『読解力の寿命』という範疇だと思われる場合にはどうなるのかということになる。同時代的にいくつもの翻訳詩が現れた場合の読み手側の捉え方はどうであるのかと言葉を置き換えてもよい。
 言語の本質のひとつにいわばその時代性を文字の意味性のほうで包括しようとしていくものがある。しかし表現された言語は無意識的にその時代性の高みで意味性を捨象してまで像領域を構成させる働きがある。であれば表現された言語の価値、いうならば読み手の心が動かされるのはどこでなのだろうかというところに行き着くのではないかと思う。だがしかし、表現者が期待するような読み手ばかりが存在しているとは限らないのである。個々によって惹き起こされるイメージに差があるからである。そのあたりのことについて考えてみよう。
 たとえば翻訳詩の中にピエールの家の入り口である『木の葉のレリーフのある扉』という言葉があったとしよう。読み手はその扉が木で出来ていてレリーフは鉄製であると思い浮かべる、いやいや、レリーフは銅製であるとイメージを作るかもしれない。いや、しかし扉自体が鉄であると思い込むかもしれない、と想像することは出来るだろう。日本的な風土の中になじまない風景や対象物について我々の想像的意識が形作る像領域はさまざまな個々の体験された意識の累積の中から生まれ出てくる。あるものは昔見た映画の中からそのイメージを喚起するかもしれないし、あるものは伝聞から既に規定の形がありそこから選択するかもしれないのだ。このようにイメージの共有化はとんと進むことは無い。
 さて、ではここで今まで論せられたところのqfwfq氏の先達でありその同伴者たちである論にいったん戻り検証してみる必要があるだろう。下記に記した抄訳分であるところのサッフォの呉茂一訳から意識の中で何が惹き起こされているのかみてみよう。

  みめ貌(かたち)よき 人はただ

 人めによしと 見ゆるなり

 正しき人ぞ いつしかに

 またみめよくも なりぬべし  (呉茂一『増補版 ギリシア抒情詩選』)

 -「光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4)」より抜粋-


 現代人である私は意味性は読み取ることが出来るがそれから像領域に向かうとすれば意識の志向性の遮断に何度も見舞われるのである。つまり像領域を思念するのだがすり替わった己の陳腐な概念に戻るのである。見目麗しい人は多分ギリシア人の美人であろうと思うのだが像として結ぶ先には顔が現れてこないのである。髪の色や眼の色さえも分からない女でしかないのだ。それでも意識は志向性を持っていてミロのビーナス程度の形は作ろうとする。これは美人は美人でも日本の美人ではなくギリシア人でなければならないという予見性を既に与えられているからである。そして、その予見性によってでも像領域を作る力が人間にはあるのだともいえる。でもこれはイメージとしての像領域が部分的に欠如しているといわざるを得ない。ではこの訳の今日的表現力の価値はあるのだろうか。今日的に言えば、迂回させることによってしか総合的な価値を見出すことは出来ないのである。言語表現のきわみがいわば意味性に寄り添うことしか出来ない状態だと言葉を換えてもよい。その分、喩が本来もっているはずのイメージの連動もそこでは見ることが出来ないのである。したがって、これを表現美と文学的に断ずることは読み手側の意識の歴史的累積性をも否定した論にならざるを得ない。だがしかし『多く人を酔わせる魔力を持っている』とqfwfq氏は森亮に言わせている。形が短歌的な喩表現になっているからとはいえ、こと翻訳の今日的な状況を考えると文学史論上に載せるしかない表現史の問題であるとしかいえないだろうし、私に言わせれば、酔うのは森に任せれば良いのではないかということになってしまうのである。文字は書かれた瞬間において表現となりうる。これは人間の意識のうちにある想像的意識のなせる技である。ではこれをこう言い直してみよう。言語表現が意味性を失ってゆく先にこそ表現美があるのである、と。これは表現された言語の本質的な部分である。意味性を辿ることしか出来ない文字はイメージとして心を揺さぶらないということである。
 では、最後に当たって1860年代(1865年頃から書いていたと推定されている)に書かれたロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカッスIsidore Ducasseの「マルドロールの歌」(LES CHANTS DE MALDOROR)*註3の原文を上に、対応している抄訳を下に記しておく。なにをどう読み取るかはあなた次第である。

Les Chants de Maldoror
Chant cinquième.
*

O pédérastes incompréhensibles, ce n'est pas moi qui lancerai des injures à votre grande dégradation; ce n'est pas moi qui viendrai jeter le mépris sur votre anus infundibuliforme. Il suffit que les maladies honteuses, et presque incurables, qui vous assiègent, portent avec elles leur immanquable châtiment. Législateurs d'institutions stupides, inventeurs d'une morale étroite, éloignez-vous de moi, car je suis une âme impartiale.



 おお不可解な男色者たちよ。おれは君たちのものすごい堕落に悪罵を放ったりしないぞ、君たちのじょうご型の肛門に軽蔑を投げつけたりしないぞ。君たちを悩ましているほとんどの不治の恥ずべき病いが、それだけで逃れがたい懲罰となっている、この事実だけで充分だ。愚かしい制度の立法者ども、窮屈な道徳の発明者どもはあっちへ行ってくれ、おれは公平な魂なんだから。

 -渡辺広士訳-「ロートレアモン全集」の中から「マルドロールの歌」



 おお不可解なペデラストたちよ、君たちの偉大な堕落に、ののしりの言葉を投げつけるのは、それはぼくじゃない。君たちの漏斗状のアヌスに軽蔑を投げつけようとしているのも、それもぼくじゃない。君らを包囲して攻撃する、屈辱的でほとんど不治の病が、さけられない懲罰を君たちにもたらすことで、もうそれでじゅうぶんなのだ。おろかな諸制度の立法者たち、偏狭な道徳の発明家たちよ、ぼくから遠ざかれ。なぜならぼくは、不偏不党の魂をもっているからだ。

 -前川嘉男訳-「マルドロールの歌」



 おお不可解な男色者たちよ、君たちの大いなる堕落に侮辱の言葉を浴びせようとしているのは、私ではない。君たちの漏斗状の肛門に侮蔑を投げかけようとしているのは、私ではない。君たちを攻めたてる恥ずかしい、ほとんど治療不能な病気の数々が、避けがたい懲罰をともなっていればそれでじゅうぶんだ。馬鹿げた諸制度の制定者にして、偏狭な道徳の発明者どもよ、あっちへ行ってくれ、私は公明正大な魂の持主なのだから。

 -石井洋二郎訳-「ロートレアモン全集」の中から「マルドロールの歌」

※挿入写真説明:上から順にアルチュール ランボオ、折口信夫、フェルディナン・ド・ソシュール、Les Chants de Maldoror、ハンス・カロッサ、ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカッス。
 -了-

あとがき&qfwfq氏へのレスポンス
 ほぼ1週間にわたってqfwfq氏の『翻訳詩の問題』に触発されて自分なりの検証のため書きました。論の矮小化や誤謬が多くあり、流れに違和感を持たれるかもしれないが、それはひとえに私の無能力のせいでしかありません。またこれによって氏が不快感をもたれないことを念ずるばかりです。当初は一部の隙も見せないqfwfq氏の論証に論を向けることは無謀とも思いあきらめていたのですが氏のブログに私がコメントで言い分を書くにしては言葉も足りなく、テーマがあまりにも重たいと感じたのでした。でも私は私なりに異論を提示しておきたい気持ちをとめることが出来ませんでした。正直に言ってqfwfq氏の読解力はすばらしく私など太刀打ちが出来るものではありません。ですがこと視点に関しては自分の論と重なり合いながらも離れていくだろうとも思いました。であれば自分で書くしかなかったというのがこのエントリィの動機付けだと思います。
 もうひとつにはなぜ異なる翻訳ものを読むのか、という自分自身に対する疑問であった。ミーハー(好きになるので同じかも)ではないけれどもとりつかれたように取り寄せ読んでしまうのである。その答えが自分自身に欲しかったということもあるだろう。そしてその答えは今回書くことによって見出せたと思っている。
 言い訳になるのだけれども、毎日の仕事の合間をぬっての小ざかしい書き様に何度も断念しようと思いましたがこれも私の現在地でしかありません。いつかまたこの論の修正が迫られるときが来るとも思いますが今は誤字や書き損じ以外、そのままにしておこうと思っています。
 また当のqfwfq氏からもコメントをいただき恐縮するばかりであり、また過大な言葉を読むにつけ光栄とも思っております。

  qfwfq氏に感謝を込めて、 南無玄之介
記:この稿ははてなダイアリにおいて『意訳とか、たまにしてみるのだけれど』と名づけられ、平成18年5月10日から書き始められ同年5月21日まで八回にわたって連載という形で書かれた。転載するにあたって再編集されたものである。
*註1:残念ながら小生は読んでいないのでqfwfq氏の引用を以下に記した:高橋が「読まされたのは大山定一訳と高安国世訳」であったが、いまはいずれも手もとにない、と記憶をたどる。
*註2:想像力は、一般に、「対象が現前していなくてもそれを直観的に表象しうる能力」と定義される。つまりそれは、感覚的に与えられていない事象(現に存在しないもの)を想い浮かべる能力を意味している。-【鷲田清一】-
意訳とか、たまにしてみるのだけれど。
*註3:「筆名ロオトレアモン伯爵、1846年2月21日南米ウルグァイのモンテヴィデォで生まれる。本名イジドル・デュカス。1870年11月24日24歳でパリで死す。死因は不明。」これ以外、その生涯が全く不明の詩人が残した『歌』は、奇跡的に今世紀に伝わり、現代文学の新たな脱皮、革命の起爆装置として日々作用しつづけている。『マルドロールの歌』の初訳者は青柳瑞穂