2004-11-27

痙攣する言葉は深淵を認識しているか

解体へのレトリック1

 ひとまず目をブログの中に向けてみよう。詩とは私にとって長く不在の言葉の一つであった。それは過去の時代から今日の時代まで到るタイムラグがあたかも在るような錯覚に囚われるようである。敢えて「創作性ブログ」という安易な言葉を選ばせて貰うことにはいささか抵抗を覚えるのだが、これも成り行きと言うことだ。
 の詩作品についてのランダムな抽出から始めようかと思ったが、時代的順列に沿って「部分」抽出を以下におこなってゆく。また部分抽出については後々問題が残るような気がするが、後日再検証するようなことがあればやぶさかではないと思う。意識の流れをまず見ることが本意であればさほど問題にはならないだろう。また、その方が批判的に止揚でき得るのではないかと思っている。2000年代から書いているようなので作品量は膨大である。また彼自身のために擁護するのだがはっきり言って「習作」を批判することは真意ではない、とだけ言いたい。その辺も考慮に入れながら自分なりの判断で抜粋をしてみよう。

「偽善者」

そんな目で俺を見ないでくれ
確かに俺は偽善者だったさ
そんな目で俺を見ないでくれ
確かに俺は嘘吐きだったさ
そんな目で俺を見ないでくれ
確かに俺は盗人だったさ
そんな目で俺を見ないでくれ
確かに俺は罪人さ
そんな目で俺を見ないでくれ
これでもおれは人間なんだぞ?
・・・・・・・・・・
・・・(中略)・・・
・・・・・・・・・・
さぁ右手を出して。僕の心をあげよう。
とっても汚い僕の心さ
さぁ左手を出して、僕の身体をあげよう。
じつわもう、腐っているけどね。


「完全世界」

この世界は腐っている。

俺の目指すべき世界-完全世界
世の中のあらゆる事に存在理由があり
あらゆる出来事が最適化されていて
全ての物事を説明できる素晴らしい世界
・・・・・・・・・・
・・・(中略)・・・
・・・・・・・・・・
一つだけ教えてやる
「お前の欲しい世界は絶対に手に入らない」
それは・・・俺が耳元で囁くから。


「手を伸ばしてみる」

・・・・・・・・・・
・・・(前略)・・・
・・・・・・・・・・
なんだか何もかもがどうでもいいような
もやもやしていながら安心するような感じ

夢を見ているのかもしれない
生きている感覚は掴めないけれど
死にそうな感じもしない

時間がずれているのかもしれない
どこかで何か重要な間違いをして
変な世界に迷い込んだかもしれない

世界を壊したいわけでも無い
世の中に不満があるわけでも無い
未来が見えないわけでも無い
もっと違う感覚
・・・・・・・・・・
・・・(後略)・・・
・・・・・・・・・・

 この辺りから現在のはにゃ氏のモチーフが見えることは誰でも明らかだろう。どうやら彼はニヒリズムというものに惹かれているようにも思える。初期作品だからと大目に見るわけにはいかないが、まだ「言葉」が通俗的な意味性を無意識のうちに選択しているように見える。またこのような構文上の対比的構成は古典的手法であり「予測された言葉」で構成され詩的言語としての内的意識が意識の表層上を流れて行くにとどまっている。この辺りのところは現在のはにゃ氏と相違はあまりないように思える。
 深読みすれば自らの心の判明し難き部分を自ら軽蔑すべき「醜さ」として光の中へ投げ返そうとする意志が見えないわけではないだろう。そしてまた彼の世界観は言葉としての距離がある故に純然たる世界であるのか、その時代における「彼と世界」という不可逆性に満ちた世界なのかまだ判然としていない。このことは「手を伸ばしてみる」において彼のおかれた世界を端的に表していると思う。地獄を語りながら「地獄」はまだ見えていないと言うべきか。

「死神の人生」

私は死を恐れている
死は音もなく忍び寄り、じわじわと私を絞め殺す
私は死を恐れている
死は光よりも速くやってきて、一瞬で私の首を切り取る
私は死を恐れている
それはある夜眠ったら、二度と覚める事の無い夢
私は死を知っている
じつは私は既に死んでいるから
私は死を知っている
それは果てしなく深い、どうにもならないほどの虚無

人が死を残り越える事など、できるのだろうか?
人に死を乗り越える力など、あるのだろうか?
私は今、本当に生きているのだろうか?
・・・・・・・・・・
・・・(中略)・・・
・・・・・・・・・・
そんな俺の既に死んだ人生は、
真っ暗闇の中で手探りで生きるだけの事だ。
毎日通行人を殺しながら。

 どうなんだろうか?観念的空語と言ったら厳しいのだろうか。いや決してそうではあるまい。生きている確証が掴めないまま「死に神の人生」ではあるまいと思うのは私だけではないだろう。もとよりこのような感覚でニヒリズムが成り立つわけもないのは承知の上だと思うが。

「君と僕の距離」

・・・・・・・・・・
・・・(前略)・・・
・・・・・・・・・・
君と僕はとても危うい関係だ。
君の救いの手は僕を繋ぐ命綱だし、僕の持っている銃は君の頭を吹き飛ばす事が出来る。
だから今はこのままでいよう。
それがお互いの為なんだよ。
・・・・・・・・・・
・・・(中略)・・・
・・・・・・・・・・
ねぇ、だからさ、答えてよ!
今は遠くにいる君よ。
棺の中で眠ったフリをするのはやめてくれよ。

 ここで用いられているのは他でもなく暗喩であることは誰でも気づくだろう。自分自身に語りかけているのであるがまだここではある意味での、もう一人の自分に対しての不信感が完全とは言い切れない形を表している。なぜなら彼の言う通り眠ったふりをしているのかも知れないからだ。

2004-07-11

殺戮

James Ellroy


ぐるぐるまわって、落ちる。
音楽。
闇/光/痛み--腕に注射、狂ったような至福。
光=視界--目を取らないでくれ。
ぐるぐるまわって、落ちる--すべてがビーバップに同調する。
チャンプ・ディニーンのリフ--ルシールとリッチーが天国からゆらゆら落ちてきた。
汗--寒気が顔をなぶる。誰かの顔--年寄りの顔。
突き刺さる針が痛みを食いつくす。
腕に麻薬注射=とち狂ったような至福。
すべて--ぐるぐるまわって、落ちる。
頬のざらつきで半ば幸福に--濃い不精ひげ。
時間--闇に差し込む光、闇に差し込む光、闇に差し込む光。
眼鏡をかけた男--おそらくは夢。人声--夢心地、半ば現実。
音楽。
  -WHITE JAZZ(ハッシャバイ)-
  James Ellroy
   佐々田雅子 訳


サイレンサー付き三八口径リヴォルバーで最後の殺戮に向かう。
暗黒小説の四部作の最後になる「ホワイト・ジャズ」から抜粋した。

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2004-07-10

乞食(こつじき)の念仏者

教行信証もしくはkakoさんへの返事

・・・ するとわたしたちは、一介の捨て聖として振舞っている無名の念仏者に宿った、巨大な思想という驚くべき矛盾した像を得られる。かれは同時代に、ほとんどじっさいに接した人々のあいだにしか知られなかったし、知られないように振舞った非僧非俗の風態をとった念仏者だった。だがかれが人格的な雰囲気と口調によって伝えたものは、比類のないほど巨大な独自の思想であった。この矛盾したかれの実像が、たしかな姿で得られたならば、親鸞の思想家としての姿はとり出せたことになる。わたしは最後の親鸞と名づけて、じぶんなりの親鸞の実像を描こうとした。
       -最後の親鸞(序)-
         吉本隆明




・・・『教行信証』はその正しい名が示すように「文類」であるから、多くの経論釈疏の引用をたてまえとするが、それを中心に据えて、その間に親鸞の理解を展開していく、そうした箇所がこのような言葉で始められ、あるいは書きつがれているのである。これは親鸞がみずからの考えを先行の典籍をしっかりふまえて論証しようとする姿勢に終始したことを語る。・・・
註(nam):このような言葉とは以下のような表現である。『だからここに』とか『だからこそ』とか、『したがって以上のよう見るかぎり』
       -『教行信証』のこと(抜粋)-
            石田瑞麿


さて、このようなことでkakoさんのcomentに対応しているのかどうか分からぬが、参考にはなるかも知れません。親鸞の生きた時代は仏典が学問の頂点であり、哲学でもあったと思われます。聖は一念仏者として”生きる”と云うことを一生問い続けたのであろうと思われます。当時の時代の「信仰心」の反逆者として。また、生活者として。その果てにみえた「佛智」、極限の思想。『教行信証』は私には大論理学のように聳えております。まして、いかの吉本隆明とはいえ聳えているものには違いなかったと思います。乗り越える「思想」としてです。
信というのは一宗教の能書きの一つと言い放つには重いものがあります。旧約聖書で神から試され続けるアブラハムの信仰心のように。
他力本願という世界はまさしく「信」を問うているのだと思います。すべてを無にした涯になにがみえるのでしょうか?kakoさんも歩むなかでしかおのれを視ることは出来ないでしょう。

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2004-06-30

おお、君は眩いくらい美しい

Arthur-Rimbaud2

聞き給え。この物語も数々の俺の凶器の一つなのだ。
俺は久しい以前から、世にありとある風景が己の掌中にあるのが自慢だった。
近代の詩や絵の大家らは、俺の眼には馬鹿馬鹿しかった。
    -地獄の季節(錯乱Ⅱ・言葉の錬金術、冒頭より抜粋)-
      Jean-Nicolas-Arthur-Rimbaud
           小林秀雄 訳


堀口大学の訳も美しいのだけれど、以下の部分に至りLacoste版に拠る小林訳の方が心に響く。


また見つかった、
   何が、永遠が、
   海と溶け合う太陽が。

もうボロで赤茶けてしまったこの文庫本を『海と溶け合う太陽』が見たいが故、新しく買い換えてしまった。

2004-06-25

Henry Miller


パリは売笑婦に似ている。遠くから見ると、男の魂をとろかすようであり、彼女を両腕に抱きしめるまで待ちきれぬほどだ。しかも、五分後には空虚感を味わい、自己嫌悪をおぼえる。だまされた思いだ。
      -TROPIC OF CANCER(北回帰線)-
          Henry Miller
          大久保康雄 訳


ヘンリー・ミラーは3人の女と出会った。とりわけアナイス・ニンの存在は大きかった。そして世に出たのである。


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2004-06-23

類的存在

Karl Heinrich Marx


動物はその生命活動と直接的に一つである。動物はその生命活動から自分を区別しない。動物とは生命活動なのである。人間は自分の生命活動そのものを、自分の意欲や自分の意識の対象にする。彼は意識している生命活動をもっている。〔人間は生命活動をもつものとして規定されるとしても〕それは人間が無媒介に融けあうような規定ではないのである。意識している生命活動は、動物的な生命活動から直接に人間を区別する。まさにこのことによってのみ、人間は一つの類的存在なのである。あるいは、人間がまさに一つの類的存在であるからこそ、彼は意識している存在なのである、すなわち、彼自身の生活が彼にとって対象なのである。ただこのゆえのみ、彼の活動は自由なる活動なのである。疎外された労働はこの関係を、人間が意識している存在であるからこそ、人間は彼の生命活動、彼の本質を、たんに彼の生存のための一手段とならせるというふうに、逆転させるのである。
     -経済学・哲学草稿(第一草稿 疎外された労働より抜粋)-
                     Karl Heinrich Marx
                    城塚 登・田中吉六 訳


カール・マルクスは人間は類的存在であると看破した。そして巨大なるヘーゲル哲学に挑む。ヘーゲル弁証法への深遠なる批判と止揚へ。


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2004-06-22

盲者

スッタニパータ


人間のこの身体は不浄で、
悪臭を放ち、
(花や香を以て)まもられている。
種々の汚物が充満し、
ここかしこから流れ出ている。

このような身体を持ちながら、
自分を偉いものだと思い、
また他人を軽蔑するならば、
彼は盲者でなくて何だろう。

        -スッタニパータ(抜粋)-
            ブッダ
           中村 元訳


ゴータマ・ブッダ(釈尊)の入滅は紀元前383年と云われている。このスータニパータは南方仏典としてはもっとも古いものである。それだけにもっとも尊き師の言葉に近いものだと思われる。


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2004-06-16

非知と無智

吉本隆明の極北

<わたし>たちが宗教を信じないのは、宗教的なもののなかに、相対的な存在にすぎないじぶんに目をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞を見てしまうからである。
      -最後の親鸞-
        吉本隆明


称名念仏の極北に佇んでいる親鸞に立ち向かう吉本隆明の姿に”思想”の原点を見る。他力本願の思想の涯に見えた孤高の世界。

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2004-06-15

ブッダの悟り

Dhammapada


かの尊師・真人・正しく覚った人に敬礼したてまつる。
『真理のことば』

怒りを捨てよ。
慢心を除き去れ。
いかなる束縛をも超越せよ。
名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。

     -ブッダ(Dhammapada)-
         中村 元訳


現象界の全てを捨て去ったときにみえるものは、煩悩から解き放たれた自分である、と云うことか。
法句経(パーリ文での大蔵経の一部)にはいつもはっとさせられる自分が見えてくる

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2004-06-14

佛国土

親鸞1


おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉號をもておのれが善根とするがゆへに、信を生ずることあたはず。
佛智をさとらず。
かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆへに、報土にいることなきなり。
      -親鸞-
  教行信証 (化身土巻より抜粋)
     金子大栄校訂


人すら自分を善と思うが故に信心が起こせず、佛の智慧を悟れないでいる。
従って真の佛国土にいけないのだ、と。
親鸞の他力本願の神髄は「念仏者」とはなにかを厳しく問うている。

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2004-06-03

砂漠の商人

Arthur Rimbaud1


この土地はおさらばだ、何処へでも構わぬ。
志を立てた壮丁ら、俺達は、猛悪な哲学を持とう。
学識には文盲を、慰安には獄道を、歩み行くこの世には決裂を。
これこそ真の発展だ。
前進せよ、出発だ。

(デモクラシーより抜粋)
     - Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud -
          小林秀雄 訳


「地獄の季節」ばかりではなく、ランボーには惹かれるものが多い。
まさに若くして天才であったのだろう。
そして、老いるのも早かった。

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2004-05-06

同一性拡散

アイデンティ・クライシス

同一性拡散と危機は何故起こるのか。自分の過去と現在、他者から認識されている自分のimageの破断。現代社会においての己の存在感の確証は難しくなる一方だ。ゆるりと蠢いている歴史の闇。その広大な底なし沼に放物線を描くように情念が吸い込まれていく。魂の彷徨う現代人達。

2004-05-05

イメージと文体

文体

難題のひとつだ。
年齢を重ねるとパノラマみたいにイメージが拡がると言うがそうではないであろう。それは老いたる思い込みに過ぎない。自己との相克をどのように経てきたのかが問題にされるべきである。これを場数を踏むとも言う。しかし、意識の時間化度は「感性」によってしか左右されない。

2004-05-03

世界内存在

E. Husserl


世界というものがわれわれの経験とはかかわりなく、それ自体の超越的存在を持続し、すべての事物はこの世界の内部に存在し、すべての出来事はこの世界の中で生起する
- E. Husserl(Ideen)-

「世界定立」に対するフッサールの初期的考え方である。死後遺稿によればすでに現象学的還元の捉え方を変えている。


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2004-05-02

バビロン王の最後

ダニエル書4


ある日、王は宮殿の屋上を歩きながらバビロンを見下ろし、
『この大バビロンは、私の権力によって私の威光を輝かせるために、私の力で建てたものだ』と言った。
眼前に広がる自分の功績があまりに大きかったので、王は自らわが身を誇った。
- 旧約(ダニエル書4)-


第二の夢を神からの警告であると教えたダニエルの言葉を時間の経過と共に忘れ去ったネブカデネザル大王に神の審判が下りる。大王は悔い改めるまで野の獣となった。その後暫くしてバビロニアはペルシャに滅ぼされる。
旧約聖書〈14〉ダニエル書 エズラ記 ネヘミヤ記旧約聖書〈14〉ダニエル書 エズラ記 ネヘミヤ記
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2004-04-25

黄泉の穴と号く

黄泉
磯より西の方に窟戸あり。
高さと廣さと各六尺ばかりなり。
窟の内に穴あり。
人、入ることを得ず。
深き浅きを知らざるなり。
夢に此の磯の窟の邊に至れば必ず死ぬ。
- 出雲國風土記 出雲郡宇賀郷 -


死者の往き住むと云う異郷を指しているのだが、深く禁忌と関わっている。
仏教伝来以前の日本人の死生観の記録に惹かれた。
既に書かれた頃は日本に仏教は渡っていた。

出雲国風土記 (講談社学術文庫)出雲国風土記 (講談社学術文庫)

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2004-04-24

死者の書

パルドゥ


ああ、私が自分の持つ根強い無知のために輪廻し彷徨っている時に、仏の世界の叡智の明るい光の道に、尊い御方であるヴァイローチャナ仏がお導きくださいますように。そして女尊ダートゥヴィーシュヴァァリーが私の背後から支えてくださり、恐ろしいバルドゥの難関を越えさせてくださいますようにお祈りいたします。
 どうか私を正しくて完全な仏の境地にお連れくださいますように。』
  - 寂静尊の神群の現出(シハの現出)一日目より「祈願の言葉」:川崎信定訳-

これは「バルドゥ(中有)」にある状態、つまり死んでから次の生を受ける迄の意識の状態で起こる一日目の祈りの言葉である。死して在る姿にひかれたので「死者の書」より抜粋した。死者に対して解脱の方向を教えるというのも生者にとっては妙であるが、生きている人間に向けられた書であると思えばいいだろう。

原典訳 チベットの死者の書 (ちくま学芸文庫)原典訳 チベットの死者の書 (ちくま学芸文庫)
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2004-04-20

歴史と共に生きる

メルロ=ポンティ

生きるという事を考えると難題ばかりふりかかるのだが、「歴史」の中で生活するという事を起点として捉えると生きるとは何かが引き寄せられる。

死ぬのはひとりだが、生きるのは他人とともにであり、われわれとは他人がわれわれについて作りあげるイメージであり、かれらがいるそのところにわれわれもまたいるのである
- メルロ=ポンティ -



知覚の現象学 1知覚の現象学 1
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行動の構造行動の構造
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2004-04-19

黙示録

ヨハネの黙示録

子羊が第二の封印を開いたとき、
第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
すると、火のように赤い別の馬が現れた。
その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。
また、この者には大きな剣が与えられた。
      -ヨハネの黙示録- 新共同訳

2004-04-18

暴力は人間存在の本質に・・・

暴力

暴力は人間存在の本質に根差しているもの、なのか?
わたしはふと考えるのだ。かの地の戦争は排除の概念と言うべきものなのか、と。

人間は暴力を合理化し抑制する装置を作った(それが文化である)が、同時にこの文化装置は危機に出会うたびにしばしば物理的暴力を拡大再生産する
-今村仁司-

2004-04-17

死の無条件甘受

サンテグジュペリ

ぼくが甘受しているのは、危険ではない。ぼくが甘受しているのは戦闘ではない。それは死だ。ぼくは偉大な真実を学んだ。戦争は、危険の甘受ではないのだ。それは、ある時期にあっては、戦う者にとっては、、死の無条件甘受なのだ。
- サンテグジュペリ-

戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)戦う操縦士 (サン=テグジュペリ・コレクション)
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2004-04-16

諸法空相、諸法色相

エスノサイド

アメリカ型民主主義と

エスノサイドと同義にはならないで欲しい

目ある人は見ている

2004-04-15

摩訶毘廬遮那

理趣

「あまねく照らす者」に出会えない間は

おのれにも出会う事が無いと云う事だ。

これはすなわち宇宙の真理である。

2004-04-14

卓観

方便

素直な女はただ単に決断力が無いだけである。

逆らう女はただ思いこみが激しいだけである。

どちらも女である。