2008-10-09

アデンからハラルへ-「ランボー、砂漠を行く(アフリカ書簡の謎)」-


 アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)が若くして、いわば詩作を放棄して、アラビアのアデンへ旅立ち貿易商社に従事し、その後アフリカのアビシニア(エチオピア)に渡ったことは広く知られている。そしてそれは一種のランボーの謎となって、さまざまな論究が為されていることも承知している。しかし、やはりこれは謎なのであり、凡人の想像力をくすぐる文学上のミステリィとも言えるだろう。
 さて、この書はまさしくランボーがアデンとハラル間を行き来し、最後の地として故国マルセイユの地で妹イザベルに看取られながら37歳で亡くなるまでの書簡を文学的想像力によって出来るだけ時空間を拡張せしめた労作であるといえる。また、ランボーの「詩」と「書簡」との間にある、つまり、詩作をやめた21歳からアデンに始まりマルセイユで終わる個人史的時間の前後差をその関係の絶対性とも言うべき中からランボーの繰り広げた詩的言語空間に逆照射させてみせたものでもあるといえよう。著者鈴木和成氏がいみじくもランボーに取り憑かれるように惹かれ取り組んできた中で思念に残るものをその本書の「追い書き Voici la date mystérieuse」の初頭で『私はランボーをいつでも終わりから読んできたような気がする。』と書き記している。まず謎を解く「アフリカ書簡」がはじめにあり「地獄の季節」、「イリュミナシオン」があったという鈴木氏の気持ちがそのまま「ランボー、砂漠を行く」に結実化したものと思われる。また、彼の師である井上究一郎教授()との研究室でのやり取りも一種の禅問答のようで興味深く、研究者としての井上究一郎の凄さを窺わせる。
 「ここに神秘な日付が来る Voici la date mystérieuse」とマラルメは言う。ランボーにおいて詩が終わり、沈黙が始まる時期のことを言っているのである。詩が沈黙と触れ合い、共鳴し、沈黙へと身を譲り渡す時期、私にはランボーの問題はそこにしか見つけられなかった。修士論文の指導教官だった-今は亡き-井上究一郎教授の研究室で、そんなランボー論を書きたいというと、教授は「ランボー論を書こうなんて思ってはいけない。ランボー研究だよ。」と釘を刺された。私は百冊以上の研究論文を読み通し、ランボーの詩が沈黙と触れ合う「神秘なdate」について諸家が述べるところを探索し、カードに採り、それらの資料を元に「『イリュミナシオン』の成立と詩人の死」と題する論文を提出した(これは『ランボー叙説-「イリュミナシオン」考』として1970年に一書となった。)
 その後も、ランボーにおける「神秘なdate」は私に憑いてまわることを止めなかった。
(後略)
  -追い書き Voici la date mystérieuse「ランボー、砂漠を行く」鈴村和成著より-
 後日それは研究室に閉じこもる「研究者」井上究一郎教授から鈴村氏に至る中で確かに鈴村和成氏の「ランボー論」の中核を占めるようになっていったのである。「文学者」鈴木和成の誕生とも言うべきものなのだろう。それは後に続く言葉にいみじくも表れている。
 言うならばランボーはアフリカ書簡の一通毎に詩の放棄を行っているのだった。そこに詩があるとするなら、砂漠に風が描き出す風紋に似たものだっただろう。そこでは生成と風解が同時に進行しているだろう。ランボーの詩はそのように詩の放棄と背中合わせになっていた。
 ランボーが詩を棄てた”時”というものは、もしそのような時があるとするならば、それは砂漠の砂のようにどこまでもちりちりに手のうちからこぼれ落ちてゆくものであるに違いなかった。ランボーにとっての時とは、詩の放棄そのものではないかと思われた。

註:井上究一郎(いのうえきゅういちろう、1909年9月14日 - 1999年1月23日)は日本のフランス文学者、翻訳家、エッセイスト-ウィキペディア
※仏語の出来る方は右記サイトへ:「アルチュール・ランボー書簡集」(1870-1891)
※このエントリィは「愚民の唄」2008-08-13に書かれたものを転載した。
ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎
鈴村 和成

岩波書店 2000-11
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2008-08-20

批評の本質

 保坂和志と高橋源一郎そして笙野頼子氏等に端を発した『小説は小説家にしかわからない』事件って『事件』なのかどうかは別としてなんか色々とネットをヲチしてたんだが私から見ると「論争」といえるものなのかどうか分からない。一種の文壇政治ゴシップみたいに思うのは不遜であるかも知れないが見え隠れする作家という矜持に違和感みたいなものを持ってしまった。いわゆる作家先生の鼻持ちならなさみたいなものに不快の念を禁じ得なかった、と云う風に言ってもいいだろう。しかし今となれば記憶の隅っこに移動してしまっていて当初感じた苛立ちは消えてしまっている。
しかし、最高の批評は作品からおもいがけないものをつくりだす創造作業だ。作品に価値を与えることができる。作品を鐘になぞらえてハイデガーがそういっている(とブランショがいっている)。批評はその鐘を打つ打ち方で、だれも聴いたことのない響きをつくりだせたとき、その批評は最高の批評なのだ、と。しかも、その批評のあと、その響きは、はじめから鐘が持っていたものだとされる。作品を輝かせると、そのときにはもう批評は消え去る。触媒に、「消える媒介者」にすぎないものとなる。その消滅こそが、批評のほこりなのだ、と。
 -「欲望なんてものはない」-坂のある非風景-

 批評が批評たりえるのはM氏がいうとおり作品の雰囲気を批評家たるものがどう伝えることが出来るのかでしかない。そしてその点で批評も文学という範疇に棲息出来うるものだと思っている。そして批判も批評のひとつでもあることは自明である。また世に棲む作家と呼ばれる人たちと批評家と呼ばれる人たちのせめぎ合いも有りとしなければならないだろう。読者というものが存在する限り「批評」と呼ばれるものも存在するのだ。レヴィナスは読み手となっている人たちを「受容者」と呼んでいて『現実とその影-Emmanuel Lévinas1948年』のなかで批評の本質を以下のように述べている。
マラルメを解釈することは、マラルメを裏切ることではなかろうか。マラルメを忠実に解釈することは、マラルメを抹殺することではなかろうか。マラルメが曖昧に語ったことを明晰に語ること、それは、マラルメの曖昧な語りの無効性を明かすことではなかろうか。
文学の営みとは区別された機能としての批評、専門的で職業的な批評は、新聞や雑誌の文芸欄や書物として登場するのだが、そうした批評がうさんくさいもの、存在理由なきものと映るということも、もちろんありうるだろう。
けれども、批評の源泉は聴衆や観衆や読者の精神のうちにある。こうした受容者たちの振る舞いそのものとしての批評が存在するのだ。美的喜びに溺れることで満足することなく、受容者は、語らなくてはならないという抗しがたい欲求を感じる。
芸術家が作品について当の作品以外のことを語るのを拒む場合にも、受容者の側には語るべきことがあるということ、-黙って観照することはできないということ-、それが批評家の存在理由である。
批評家をこう定義することが出来る。批評家とは、すべてが語られてしまったときにも依然として語るべき何かを有している人間であり、作品について作品以外のことを語りうる人間である、と。
-【芸術と批評-p303】(『現実とその影-Emmanuel Lévinas1948年』合田正人 訳)-

 そして断固それは芸術家が蝿を払うようにしてもそれとして存在する。
このエントリィは「愚民の唄」2007-12-23に書かれたものを転載した。

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Emmanuel L´evinas 合田 正人

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2008-08-19

Epistrohy

 唐突だが私はEric Dolphy(エリック・ドルフィ)のEpistrohyが好きだ。そして私はEric DolphyのIron Manが好きだ。それもほとんどミーハー的にまで、だ。前者のサックスの咆吼、後者のBobby Hutcherson:vibesとの絡まり方はまるで狂気の万華鏡の世界を展開する。涯的宇宙空間での時間性への鬩ぎ合いとでも言えばいいのだろうか。対峙する意識としての外化不能までに空間性を消滅させ時間的に意識を浸食し始める。そう、まさに暴力的である。私はそこではひたすら自分の意識の消滅を祈り、物理的時空を超越しようとする。想像的意識はひたすら下降ホールを底へ、底へと落下していくのだ。そして辿り着くのは根源的な意識としての存在だけの世界である。あてどもなく彷徨う時間軸の先にある存在、だ。魂への揺さぶりとはそういうものなのである。
When you hear music, after it's over, it's gone in the air
You can never captune it again

- Erick Dolphy (Last Date)-

alt saxプレイヤーとしてのエリック・ドルフィの最後の言葉であることはジャズ・フアンの間ではよく知られている。音の作り上げた空間を良く言い表していると共にこれほど想像力の世界を言い当ている言葉は無い。

※このエントリィは「2004-02-27」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
Last DateLast Date
Eric Dolphy

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2008-08-18

metaphysical ”Nardis”part three

 トランペット吹きがピアノ・トリオにピッタリの曲を創るって事は別に不思議ではない。人々の思いこみという観念の位相は時としては腹もふくれない「知識」というヤツに幻想を抱くものなのである。そしてそれは決して普遍性を有する「智慧」には到達しない。Bill Evansに関しての伝説や憶測はごまんとある。もっともそれに負けないくらいMiles伝説にも「嘘」があっていい。だから私はしたり顔で言う、彼が、Bill Evansがユダヤ人であった場合はどう論ずるのだ?と。この「ノート」も例外ではない。逸話は「逸話」として置いておけば良い。己の観念に取り込まれるのも愚者の常なのだから。そしてなんと言っても私は愚者である。
 さて魂を揺り動かされるという事は一体どういう事を指すのか。フレーズが紡ぎ出すえもいえない空間とは何なのだろうか。それは日頃は感ずる事もなかった「曲(絵画でも良い)」に急に感動を覚えたり涙したりする事は誰もが体験する事である。いわゆる”そこ”が泣き所といわれる所以である。しかし、そのことが本当に魂を揺さぶっているのだろうか。その波長で「気分が高揚したんだ」と。しかしながら私は言う「だからなんだ」と。高揚しない場合もあるのだ。鬱病患者を擬態化させようと目論むα波の音のことを言うのであれば心療内科の医者に任せておけばよいのだ。そしてそのような事を論ずる批評家然とした輩は放置、である。
 再びRichie Beirachへと戻ろう。私はpart oneにおいてBill Evans(P)とScott Lafaro(B)の関係を述べたかと思うが、では、Richie Beirach(P)、Frank Tusa(B)、Jeff Williams(Ds) のトリオはどう見えてくるのかを考察したいと思う。BeirachはおそらくこのNardisに向かう前にソロで数え切れないぐらいの試行をしたはずである。時間軸への挑戦である。当然の事である。おのれのNardisとEvansのNardisは時代性の位相差があるからである。今、目の前にある Evansトリオの音楽空間をBeirachはどのように止揚しようとしたのか。いかにもあっけない答えかも知れないがBeirachもEvansのようにしたのである。ご存じのようにEvansのNardisは1Takeだけではない事はよく知られている事実である。かれにとっては何度も何度も極めようとした特別のテーマだったのである。(何故特別なのかという事については後日述べようと思っている。)Beirachはソロで試行したであろう時におのれの時間軸を徹底的に駈け抜けたはずである。そしてその極みにあるおのれを見た幻覚にとらわれそうになったはずでもある。しかし見る事は出来なかったのである。そしてEONでの NardisのTakeに取り組んだのだ。そして後日何度もNardisに取り込まれる事になったのは周知の通りである。果てのない囚われの幻視に向かって・・・。

※このエントリィは「2004-02-26」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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2008-08-17

metaphysical ”Nardis”part two

 ピアニストBill EvansにとってのベーシストScott Lafaroの存在はお互いが「高まり」を共有出来る無比の存在であった事は先程述べているところであるが、彼とのsessionはScottのあっけない交通事故死によって終わっている。時空間の恋人同士であった片方の「死」はある意味では無惨ではあるがエバンスにとっては彼との空間を止揚するmotifにもなったはずである。己を先行するベーシストを失ったEvansの取るべき道はたゆまぬ時間化度への進撃である。後日のピアノ・トリオとしてのピアニストであるBill Evansは孤高である。
 このNardisであるがRichie Beirach(Richard Beirach)が様々な位相で取り組んでいる。リッチィ・バイラークは1947年NYのブルックリンで生まれている。私とほぼ同年である。名前から推察すると北方ヨーロッパ系移民の血を引いているようにも思える。彼のBill Evansへのこだわりは彼のアルバム(discography)からも窺い知ることが出来る。ECMレーベルから発売されたリッチィの初リーダーアルバムEON(1974年11月NY)のなかでNardisはとりあげられている。楽器編成はRichie Beirach(P)Frank Tusa(B), Jeff Williams(Ds)のピアノ・トリオである。このトリオで翌年もう一枚(Methuselah)つくられている。が、目指しているところからするとEONのほうがより「内省的」であり3枚目となるSunday SongにおけるTusa(B)とデュオに至る方が自然のように思える。EONのNardisは意欲的であり挑戦的である。当然の事ながらコードやフレーズから感じられるものは眩いばかりの Nardisへの「愛」でありBill Evansへの切ない想いの咆吼のようだ。何度も何度も虚空に向かう「フレーズ:仮講線」はTusaのベースによって高められていく。それでも”失墜”していく様はおどろおどろしいまでのピアノ独特の空間を形創る。Evansが試みたように”憑依”され何かを超えようとするかのように、だ。そしてBeirachは美学的に云うならばNardisというabstract artを造形したのだ。

※このエントリィは2004-02-24に「はてなダイアリ」に書かれたものが転載されたものである。
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2008-08-16

metaphysical ”Nardis”part one

「ナーディス:NARDIS」は1958年MilesがCannonball AdderleyにRIVERSIDEへ移籍した初レコーディング・アルバムのお祝いに書いた曲である。長年マイルスに同伴していた彼の労苦のお返しに書いたと云われる。と、されている。オリジナルにはTAKE4・5とある。当時マイルスのバンドでピアノを弾いていたBill Evansやポン中のPhilly Joe Jonesが参加している。しかし、世間的にはどうやらBill EvansのNardisの方が知られている。プロデューサーでありミュージシャンであるBen Sidranの”逸話”が真実に近いとするならば帝王Millesのパクリであろうと推察される。笑えるではないか。シドレンを逆から読めばいいのだ・・・。つまりBill Evansの作曲と見るのが自然なのである。
 さてそのB・EvansのナーディスであるがきわめてどのTAKEも思索的である。彼のレパートリーの中でもこの曲だけは時間が経過していくほど形而上学的でもある。JAZZ的にどのTAKEが良いのかという問題ではない。sidemenや環境にもよるからだ。確実に時間性を獲得していく空間として云うのだ。ある意味ではこの曲は示唆的でもあるかも知れない。自己表現としての時間化度の深化を彼がこの曲で試していると言う事にもなるのだ。彼は1980年に亡くなっていて私はその2年前の冬に金沢のコンサートで会っている。楽屋でのきわめて短い時間でしかなかったが我々の質問に根気強く静かに応える彼の姿が印象的であった。ついでに云うならば握手した手が私の倍以上もあった事を覚えている。最初の一音に彼の時間化度が推察され、サイドの音はその後から来る。美しい!だが、これは違う!と云うのが正直な気持ちでもあった。おそらくメロディラインにまで昇華してくるScott Lafaroと自分の意識の中で較べていたのかもしれない。時空の中の「ケルン」であったScott Lafaroこそは彼を時間の極みにまで到達させたのではないだろうか。

※このエントリィは「2004-02-23」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。
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2008-07-20

谷川 雁の深い挫折感

雲よ
雲がゆく
おれもゆく
アジアのうちにどこか
さびしくてにぎやかで
馬車も食堂も
景色も泥くさいが
ゆったりとしたところはないか
どっしりした男が
五六人
おおきな手をひろげて
話しをする
そんなところはないか
雲よ
むろんおれは貧乏だが
いいじゃないか つれてゆけよ

-谷川 雁 詩集(国文社版)-

・・・光とは、なんとおそいものであろう。そして自分の「詩」を葬るためにはまたしても一冊の詩集が必要なのだ。人々は今日かぎり詩人でなくなったひとりの男を忘れることができる。
1960年1月6日-谷川 雁(あとがき)-

言語空間の営みにおける深い挫折感と思想の敗北。そして、そのように彼は忘れ去られた。
谷川雁詩集 (1969年)谷川雁詩集 (1969年)
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2008-06-20

美しい書物

これらのメモのあちこちにいま目を通してみると、まずいくつかのものに失望させられる。じつのところ、私はそこに何を期待出来たというのか?それはシュルレアリスムがまだみずからをさがしもとめており、世界観としてみずからを明確化するにはほど遠かったからだ。みずからの前にひろがる時間を先読みできぬまま手さぐりで進み、みずからの威光の第一歩をおそらくあまりにも悦に入って享受していたのだ。影をつむぐものがなければ、光をつむぐものもない。(1962年)
      -NADJA(ナジャ)-Andre Breton 巖谷 國士 訳

アンドレ・ブルトンの作品「ナジャ」はシュルレアリスムが生んだもっとも美しい『書物』である。死後4年前、つまり1962年に自らの作品「ナジャ」に修正を入れ始めた。35 年前に書かれた作品に手を入れる想いはいかなるものかは想像の域は出ないが、完成を意識して書かれていなかったということだけはいえるだろう。

※このエントリィは「2004-06-28」にはてなダイアリに書かれたものが転載されたものである。

2008-05-23

「浄土」を書き終えて


 id:h_catも言っていたが、御多分に漏れず私もほっとしている。完璧なものなど書きようもなく不完全燃焼のようなものを感じている。限られた時間の中で書くという困難性はあるにしても自分なりのテーマやイメージに沿って掌編を習作させて頂いた。趣旨に賛同しエントリ参加してくれた諸氏並びにnoon75氏にはあらためて感謝の意を表したい。
 人嫌いといいながらもそれとなくネットでお付き合いをさせて貰っている「尼僧id:nappa2914」がいる。まだお若いのだけれども興味深い女性である。今回の掌編「浄土」について的確な感想を頂いた。有り難いことである。
「浄土真宗では亡くなったの人のことを浄土へ帰る(還る)というのよね、とっても素敵だと思うの」と言っていた事を想いました。
 -「尼僧、親鸞聖人の教えと日暮之所感」註1-
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨(註2)の利益にあずけしめたまうなり。(歎異抄一条)

※写真は「幻化(註3)」屏風右-冨田渓山-
参照:「美術品は語る-幻化-」
※このエントリィは「愚民の唄」2007-01-17に書かれたものを転載しました。またここで言われている掌編「浄土」は南無’sワールドにおいて「善なる人々-悠治編-」として加筆改編されました。
註1:引用先は現在クローズされていて「弟系『尼僧、親鸞聖人の教えと日暮之所感』」に引き継がれている。
註2:摂取不捨(せっしゅふしゃ)〔仏〕 阿弥陀仏が念仏する衆生をすべて浄土へ救いとって、決して見捨てないこと。浄土教で説く、阿弥陀仏の根本的なはたらき。
註3:幻化(げんけ)仏語。幻と化。幻はまぼろし、化は仏・菩薩(ぼさつ)の神通力による変化(へんげ)。実体のない事物、また、すべての事物には実体のないことのたとえ。-大辞林
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2008-04-08

そのうちずっと遠いところへ行ってしまわなければならない-(錯乱 I Jean Nicolas Arthur Rimbaud)


桜吹雪の中を猛スピードで走り抜けた。
川沿いの桜並木の下をはしっている道は、ただの国道の抜け道にすぎない。
約束のない再会の雨が降る:「桜吹雪を抜けて」

Arthur-Rimbaud3

 北陸の桜は先日の日曜日にほぼ開花を見た。好天も相まって川縁の桜並木はそれこそ数え上げることが出来ないほどの群衆に埋まっていて、まるで虫が湧いたみたいな様相を見せていた。建ち並ぶ露店や子供達の嬌声の中、互いになんら関わりのない人々の集団にしか過ぎないのに私の視角に入ってくる顔は一様に緩んでいた。いわば通りすがりにしか過ぎない肉の塊、人称とも呼べない人々の存在の中で私の歩みは一種場違いな音をギシギシと立てていて、きっとそれは砕かれてゆく自分の音なのだと気づくまでたいした時間を取らせなかった。一種の救いがたい心の欠片でさえ焼尽させてしまう世界の現出の前で私は立たされているのだ。
 孤独さえ砕かれてしまうことだってある。そのあとに残るものはなにかという問いに私は答えることが出来ない。
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2008-03-20

妄念の虜となった男

 昨日アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)の死亡が伝えられた。臨終についての新聞記事等によるとスリランカ・コロンボの病院にて呼吸不全のため19日死亡(*註1)となっていてそれ以上のことは判らない。享年90歳であった。慎んで哀悼の意を表したい。
 彼は読む者によってはSF作家と一括りには語れないものを持っていた。特に優れた短編には時としてははっとさせられるものが多くあった。宇宙という認識世界に形而上の示唆に富む物語を持ち込んだ男でもあった。
 まことに理屈に合わないことだったが、旅の終わりが近くなってきたいまになって何かが起こったら、こいつは恐ろしいぞ、と考えはじめた。はやく街の光が見えてこないかと必死に期待しながら、しばらくは、最悪の恐怖が忍びこむのをくいとめた。だが、数分が過ぎ、彼は尾根が思っていたより長いことを悟った。街がまた見えてきたら、ますます近づいたことになるのだと考えて士気を高めようとしたが、論理はなぜか彼を見捨ててしまっていた。まもなく、彼はあることをしている自分に気づいた。
 立ちどまり、ゆっくりと周囲を見まわし、肺が破裂しそうになるまで息を詰めて、聞き耳をたてているのだ。
     -A Walk in the Dark(闇を行く)-
      Arthur C. Clarke 風見 潤 訳
 宇宙空港から次の便が出るのは一ヶ月もあとである。たった一台しかないトラクターも動かなくなり懐中電灯は闇の中に落ちた。アーサー・C・クラークにしては珍しい姿の見えないクリーチャーに怯える男の恐怖を描いている。年老いた基地事務員の未知なる生命体への奇想天外の話しがにわかに彼の妄想の中で真実味を帯びてくる。銀河系の中心から遠く離れた惑星での男の体験は「SFホラー」と片づけるには惜しいほど寓話的である。
『心は対立する二つに分裂した。互いに相手を打ち負かそうとし、どちらも完全な成功をおさめることができずにいた』
妄念の虜となった男。
*註1彼の死亡を伝えている訃報記事についてはneanさんの「極私的脳戸」において詳しくそちらを参照して欲しい。
※このエントリは2004-06-29にはてなダイアリにおいて書かれたものを加筆編集転載されたものです。
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2008-03-06

詩的言語あるいはイマージュについてのメモ1

希望と同じだけの挫折を実現する錬金術師たち


 一つの対象や一つの方法についての詩的認識は、全文体を引き入れる、と言ったのはガストン・バシュラール(Gaston Bachelard)だったが、詩的言語の繰り出すイマージュの論拠を考える上で参考になるだろう。
 自己表現する意識にとって、第一の恩恵とはイマージュであり、このイマージュは、その表現自体においてその大きな価値を持っているものである。
 自己表現する意識!それ以外のものがあろうか?
 -La terre et les reveries du repos-Gaston Bachelard(「争う内密性」から

 そして詩人達はこのイマージュの中で弄ばれ、やがて一つの方向性を見出すが、その独自性ゆえ、またそれ故に単なる虜となってあたかも在るかのような言葉で以て言葉の罠に陥る。勿論バシュラールの言う通り、「希望と同じだけの挫折を実現する錬金術師」は想像力の行き着く所までその行動に従い、イマージュの対象の形成物を触ろうとする。この一種の受け入れがたく相反する極を詩の持つ根源性といえるだろう。また、もう少し言を一挙に滑らせると『言葉というものは本質的に実存の否定を含むものであり、この否定を通じて初めて言葉による創造は成り立つ』とモーリス・ブランショは言っている。また大岡信は『「現代詩」の成立-言語空間論-)』のなかで詩のイメージを以下のように述べている。
言葉はイメージをよび起こすことができるが、イメージが出現するということは、すでに対象物がそこにないということである。イメージは対象物の不在によって成り立つものである。・・・(中略)・・・それはすでに、肉眼に見え、肌で触知できる「現実の空間」ではなく、むしろその種の空間の不在によって成り立つ「虚の空間」である。
 「現代詩」の成立-言語空間論-大岡信

 別に意図的に引用したわけではないが極めて興味深い言葉である。時代性を考えると、あたかも現象学のごときである。そしてこの「虚の空間」が無限という観念にまで到る一切の可変的で伸縮自在の観念を包合する、と。つまり詩的言語の可変性を時間性の中で突き動く『言葉』として捉えている。
カーネーションが赤い、ということは、赤いカーネーションを指示するだけである。一つの豊かな言葉ならば、たった一言でそれを言うことが出来るだろう。赤いカーネーションを前にした場合には、だからその赤い香りの叫びを表現するためにむすびつけられたカーネーションという言葉と、赤いという言葉以上が必要であろう。誰がその花のなまなましさを語ることが出来るだろう。このような大胆な花を前にして、われわれの想像力のサディズムとマゾヒズムを誰が働かしうるだろうか?赤いカーネーションの匂い、視覚によってさえも無視することが出来ないそのカーネーションの匂い、ここにこそ直接的な反応性の匂いがある。言いかえるならば、、その匂いを言わずにおくか、さもなければ、それを愛するかが必要だと言うことである。

 ガストン・バシュラールはこのようにも言った。恣意性をあたかも装うように意識的にイマージュにすり寄れたとしてもイマージュの方に質的な生成力を持ちえない場合は赤い、という鮮烈さが伝わらないであることも事実なのである。さて最後にもういちどガストン・バシュラールがエドガー・アラン・ポーについてのべた言葉を以下に引用してみよう。
イマージュを、緊張した想像力の行為自体の中で経験しなければならない。作家によって与えられた知覚しうる証拠は、表現の方法の状態として、読者に対して全く根元的イマージュを伝える方法として判断しなければならない


※ガストン・バシュラールについてはGaston Bachelard

空間の詩学 (ちくま学芸文庫)空間の詩学 (ちくま学芸文庫)
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2008-03-05

イマージュの断片的メモ3

Jean-Paul SartreのL'IMAGINAIRE『想像力の問題-想像力の現象学的心理学-』に関する私的メモ3
■超越論的還元-フッサールに関する私的メモ
 さて、ここでいったん視点を変えて少しフッサールについて。メモの中で何度も行きつ戻りつをしているように思えるのだがフッサールの事に関して部分的メモを進めておきたい。谷徹はフッサールの「超越論的還元」のことをわかりやすく以下のように述べている。
◆『実存する対象を持つ表象と、実存する対象を持たない表象』
 これに関連して、フッサールは1894年にトワルドフスキー(トワルドウスキ)という哲学者・論理学者の説を考察している。トワルドフスキーは、「実存する対象をもつ表象」と「実存する対象をもたない表象」を区別した。たとえば、富士山の表象は「実存する対象」(実在的に存在する山)をもつが、ペガサスの表象は「実存する対象」(実在的に存在するペガサス)をもたないだろう。しかし、どうしてそう言えるのか。素朴に考えると、たとえば、富士山の表象が「実存する対象」をもつかどうかは-ちょうど写真と実物を見比べるように-じっさいに富士山を見ればわかると言われるかもしれない。そのときには、私たちは、その富士山の表象の外に出て、そこに富士山そのものを見るということになるだろう。しかし、その富士山そのものを見ているときに、私たちはやはり新たな表象を用いているのではないか。とすると、この新たな富士山の表象がまたもや「実存する対象」(実在的に存在する富士山)をもつかどうかが問われてしまう。そこでまたまた、その表象の外に出て富士山を見ようとすると、やはりまたまた同じ問題が生じてしまう。ということは、(ペガサスはもちろん)富士山さえも、その表象の外に出て、その実存を確証することは出来ないということである。
 じつは、私たちは、表象の外に出ていないし、出られないのである(表象と対象の関係は、写真と実物の関係と同じではない)。にもかかわらず、自分が外に出ていると思いこんだり、出られると思いこんだりするのは、非学問的である。
 とは言っても、非学問的な場面では、私たちは、富士山は私たちの表象の外に実存すると確信しており、それを表象の外で確認できると思いこむような傾向をもっている。こうした傾向は一つの「態度」に対応している。この態度をフッサールは「自然的態度」と呼ぶ。この態度は、文字通り「自然的」であるため、それが「態度」であることさえ気づかれないほどであるが、しかし、やはり一つの態度である。
 私たちは、本当は、表象の外に出ることなく、富士山のような対象の実存を確信している。それでは、私たちはどのようにしてそれを確信しているのだろうか。この問を解くためには、ひとまず、非学問的な思い込みを停止し、表象の外部に当該の対象が実存していると信じるような(自然的態度の)傾向にストップをかけねばならない。これをフッサールは存在の「エポケー(判断中止」と呼ぶ。そのうえで、私たちの目を、表象の外に向かわせるのでなく、その内部(マッハ的な光景)に引き戻さなければならない。この引き戻しをフッサールは「超越論的還元」と呼ぶ。

※下線-namgen
※エポケー(epokhe) 判断停止、判断保留。普段自明であると思いこんでいる全ての知見を一旦停止すること或いは棚上げ-namgen
◆マッハ的光景
色々関連するのでメモ。
絵の右側に見えるのは、マッハの鼻であり、その上の方に伸びているのは彼の眼孔である。そして前方には鉛筆をもった右手と、両足が伸びている。-谷徹
何故「超越論的還元」と呼ぶのか。再び谷徹の現象学の捉え方からメモ。自身の視点のdebugが必要かも。空想対象も知覚対象も構成されたものであり、現象学的な範疇での「構成」-直接経験の構造。
※図2参照
◆フッサールの超越論的とは-谷徹
しかし、それはなぜ「超越論的」と呼ばれるのだろうか。
 その最大の理由は、表象の外部になにかが、「存在する」と言うことは、そのなにかが表象を「超越している」ということを意味するからである。つまり、存在=超越である。しかし、そうした存在=超越は、じつは、表象の内部から出られない私たちが表象の内部で「構成」したものなのである。存在=超越は私たちによる構成と不可分であり、この構成から離れられない。

 この辺りはまだまだ自分にはメモが必要だな。マッハの言う所の直接経験、知覚(視覚)の世界観・・・。フッサール、フッサールと。池上鎌三訳は、しかし、厳しいな。読めねぇ。『純粋現象学及現象学的哲学考案』(岩波文庫)-1939年初版って、戦前漢字は読めねぇ。フッサール前期だからいいか。ひとりごとメモメモ。随分と迂回だな。
静岡大学浜渦先生参照リンク(メモ)
◆直感経過における志向と充実-フッサール-(谷徹からメモ)
・・・・。
 音の諸現出はこのように経過していくが、これらの諸現出を突破して、(バラバラの個別的な音の現出ではなく)ひとまとまりの現出者(メロディ)が知覚される。現出者と諸現出の相関関係は、いつも直感経過の中に(或いは時間意識の中に)ある

アンダーライン-namgen
◆フッサールのいうところの志向性
ここでいったんフッサールの現象学的概念や用語についてふりかえろう。
 志向性・志向的体験・意識
 物(たとえばサイコロ)が見えるというのは、サイコロの「諸現出」(物の現れ出ている面。サイコロで言えば三や五の面)が遠近法的に「感覚」されるだけでなく、それらを媒介にして「現出者」(面を現している当のもの。サイコロそのもの)がキュービズム的に「知覚」されるということ。私たちは諸現出を突破して現出者を見る。この媒介・突破の働きが「志向性」である。
 突破される諸現出は非主題的に「体験」(感覚)されるだけだが、現出者は主題的に「経験」(知覚)される。このことが起こる場面が「志向的体験」である。
 「意識」とはこの志向的体験の別名、それゆえ「意識」は主題的な成分だけでなく、(通常の語義と違って)非主題的な成分を含む。
物は、ふつう意識から離れて(「超越」して)意識の外に「存在」すると思い込まれているが、しかし、物は現出者であり、諸現出から(それゆえこれらを突破する志向性から)切り離されない。現出者は諸現出といつも「相関的」である。
  「現象学の基本用語集」-谷徹-

◆吉本隆明の「心像論」から

 ここでサルトルの「想像力の問題」についてのすぐれた論証を書きとめている吉本隆明の「心的現象論序説」から抜粋してみる。イマージュ(像)を吉本は「心像」と言う概念であらわしている。いささか長い引用になるのだけれどもこの辺のところは彼の明快な論理は重要である。
 心的現象論序説-心像論Ⅶ-吉本隆明から引用。
なぜ、わたしたちは〈心像〉を喚びおこすことができるのだろうか?対象が眼のまえに存在しないのに、その対象を思念するとき、どうして〈心像〉は不鮮明な闇に溶けるような形像と確定した綜合的な把握の可能性としてやってくるのだろうか?あるいは対象が目の前にないのに対象を思念する(対象を思念するのではない)という矛盾がなぜ〈心像〉をうみだすのだろうか?
・・・(中略)・・・
 ところで〈わたしが〉友人Aについて識っていることは、感覚的あるいは感情的に識っていることと、概念的な把握によって識っていることから組み上げられた綜合的な識知である。そしてそれがすべてである。しかし、〈わたし〉が友人Aを思念するときに喚びおこされる友人Aの〈心像〉は、もともと〈わたし〉が友人Aについてもっているはずの綜合的なな識知とは異なっている。この変化は〈心像〉を感覚的(あるいは感情的)な把握からも、概念的な把握からも遠ざけてしまうが、この二つの把握から源泉をうけとっていることだけはたしからしくおもわれる。なぜならば、〈わたし〉が友人Aについて感性的(あるいは情感的)な把握の体験も、概念的な把握の体験ももっていなかったとすれば、〈わたし〉にとって友人Aの〈心像〉があらわれるはずがないからである。もちろん、〈わたし〉が直接に友人Aについてなにも知らなくても、〈わたし〉と友人A以外の第三者のインフォメーションにもとづいて、〈わたし〉は友人Aの〈心像〉をよびおこすことはできるが、これは〈わたし〉と友人Aが媒介をとおして関係づけられることを意味しているから、〈わたし〉が友人Aについて直接の知見をもっている場合とすこしも本質はかわらない。
 ここであきらかにできるのは、〈心像〉が、なんらかの意味で既知の対象についてだけあらわれることである。そして既知であるとすれば、〈わたし〉がその対象を知覚的にか概念的にか知っていることを意味しており、それ以外のことをなにも意味していない。
      【1 心像とは何か】-心像論Ⅶ-

 イマージュが知覚からも遠ざかったところで像を結ぶのか、と。
※参照文献:「心的現象論序説」吉本隆明ー北洋社版(昭和46年9月30日初版本)ー

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 これから『想像力の問題』の「第一部 確実な事象」の後半に入っていくことになる。なるべくテンポを早めて進んでいきたいと思う。本来引用文を多く取り入れることは褒められたことではないのだが、自分自身への「メモ」という前提で書いているので承知して貰いたい。興味のある所しか書かなかった場合は時々書かれたものが奇異に映る場合が多いからである。もっとも、一から始めるには色々な障害があるのは承知の上である。『想像力の問題』自身がある意味では単独で成り立っているわけでもなく、サルトルにとっては通過地点であるに過ぎないからである。ただ、ただ、私にとっては魅惑的な中身なのである。
 「平井啓之」(1992年死去71歳)の翻訳も私にとっては難解だ。もっとも外国語であるということを前提としていえば「翻訳不能」或いは「翻訳の限界」というものは否定出来ないだろう。このことと平井氏の功績とは無関係なのはいうまでもない。戦後間もない時期の出版であることを思えば平井氏の翻訳作業は戦後の混乱期に行われていたのだと想像される。そう考えると頭の下がる思いである。
■記号からイマージュ(像)へ-物真似の意識
ミュージック・ホールの舞台上で、物真似のフランコネィが《物真似》をやる。私は彼女が真似ている芸人を識つている。それはモーリス・シュヴァリエだ。私は、「これは全くそっくりだ」とか、「これは失敗だ」とかいってその真似ぶりを評価する。そのとき私の意識内には何が起こっているのだろうか。
・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
 たしかに物真似は観客にとって甲なり乙なりのものとして理解される記号を用いるものである。しかし記号とイマージュとの結びつきは、もしそれを聯合作用的な結びつきと解するのであれば、そんなものは存在しない。そしてその結びつきが存在しないわけは、第一に、それ自体が想像的意識である物真似の意識は、いささかも心的イマージュを内包せぬからである。且つまた、イマージュは、記号とひとしく、意識である。これら二つの意識の間に於いて外から来る結びつきの存在などは問題になりようがないのである。
 フランコネィの物真似を引用しながら、類似による結びつきがイマージュを生まれさせ、真似された人物のイマージュと比較させるのだという主張をサルトルは否定し、それを内在的錯覚であるとしている。そして内在的錯覚と呼ばれるものについての意識の在り方に進む。「記号からイマージュ(像)へ」をさらに進めよう。
 物真似の舞台を観客の視線から見た場合に、物真似をされているモーリス・シュヴァリエを「例」にとり接近聯合作用によって私たちの内部にそのイマージュを喚起されているのだろうか、ということにサルトルは疑問を投げかけている。物真似芸人が物真似の仕草の中で暗示する行動がそれである。その仕草をサルトルは「記号」と云う言葉で呼んでいる。そしてこの先が相当の難解さをもって書かれていくのだが、非常に重要である。内在的錯覚についてサルトルはジェームズ(James,William)の論を範疇に意識して書いている。
※ジェームズ(James,William)(1842-1910) アメリカの哲学者且つ心理学者。その心理学は具体的意識の状態をそのまま捕らえる内省的方法をとり、構成的心理学、殊に聯想心理学を攻撃して、意識を個体の有機的活動の機能と考える機能的心理学を主唱した。またランゲと共に、情緒の末梢起源説を唱え、泣くが故に悲しく、打つが故に腹が立ち、震えるが故に恐ろしいとする所謂ジェームズ・ランゲ説の主唱者となった。-平井啓之(訳注)
※なお、ウイリアム・ジェームズについては「William James」が詳しく、参照して欲しい。また「根本的経験論」(白水社)で、Essays in Radical Empiricismはテキストで読むことが出来る。-namgen
それでは一体、無意識の世界へイマージュを訪ねに行くこの類似、人がイマージュについてもつ意識に先立つこの類似とは、なんであろうか。

一つの意識がそれだけで全的な心的綜合でありその一切がそれ自身に内在的なものである。
まずはこのことをよく頭に入れておこう。そして上記の言葉は以下のように置き換えて論が進む。
言葉をかえていえば、或る意識が他の意識の上に働きかけ得るためには、自分がその上に働きかけるべき意識によってその意識が支えられ再創造される必要がある。それは決して受動性の問題ではなくて、それ自身にとって透明な、志向的心的綜合の内部に於ける内部的同化作用、或いは非同化作用、にかかわることなのだ。一つの意識は他の意識の原因ではない。それは他の意識を動機づけるのだ。
 ここは「接近聯合作用」を受動性とみなして否定し、非常にアクティブな意識の仕組みに向かおうとしていると思えばいいだろう。この後に興味深い言葉が展開されていく。
以上に述べた点が私たちを問題の核心にみちびく。物真似についての意識は時間的意識形態であり、すなわち、時間の中でその構造を発展させる。それは意味の意識である。しかしそれはそれが程なくイマージュの意識にならんとしていることを既に自覚している特殊な意味意識である。それはやがて想像的意識になり変わるが、しかしその場合もその想像的意識は自らの内に、記号の意識に於ける本質的な要素をとどめている。
 意識の中での対象物との「関係」づけが「時間性」の中で行われている過程を示唆し、それはまだ意識の中では前段階の位相であるという事を言っている。先程までの難解さとうってかわって分かりよく説明がされていく。
・・・。これらの意識の綜合的統一はある持続をそなえた作用であり、その作用にあっては記号の意識とイマージュの意識とが目的に対する手段の関係にある。本質的な問題は、これらの構造を記述すること、如何にして記号の意識がイマージュの意識を動機づけるのに役立つか、如何にしてイマージュの意識が記号の意識をあたらしい心的綜合の中に包摂するか、を記述すること、に帰する。同時に、また、意味的素材の状態から表象的素材の状態へ移り行く、知覚された対象物の機能上の変形は如何にして行われるのだろうか。
 物真似についての意識と肖像の意識との間の相違はその素材から来る。肖像の素材は自ら見る者を唆かして心的綜合を行うようにさそいかける。なぜなら画家がそのモデルとの完璧な類似を肖像にあたえることを得たからである。ところで物真似の素材とは、人間の身体である。それは硬ばっていて、抵抗する。(訳註 顔を作らぬ物真似だけが今私たちの関心の対象となっている。)物真似屋は小柄で、肥つちょで、栗色の髪をしている。そして女のくせに男を真似ている。そこで真似は大凡のものとなる。フランコネィが自分の身体を用いてつくり出す対象物は、はっきりしない形であり、それは常に二つのまるで次元を異にするものに解し得られる。すなわち、私はイマージュとしてのモーリス・シュヴァリエを見ることも、しかめ面をしている小柄な女を見ることも、その間ずっと、ともに自由である。この点から記号の本質的な役割が生ずる。記号は意識を照らして、意識を導かねばならない。
 リアルな部分では明らかに異なっている人間が目の前に居るにかかわらず、そこに存在していない人間であるところのモーリス・シュバリエが分かるのか、である。意識の中で記号でしかない部分、部分が何故イマージュの意識に作用しているのか、ということについては、更に続いていく。
※モーリス・シュバリエについてはMAURICE CHEVALIERを参照-namgen
※フランコネィFrancony?Franconey?という芸人については仏語が難しく、今のところ具体的な芸人として分からず
誰か教えて下さい。-namgen
・・・・・・・。
そのうえ、これらの関係的事実のあるものはわざと歪められている。麦わら帽の傾きは誇張される。何故ならそれはまず人目を惹くべき主要な記号であり、それを廻って他の一切の記号が秩序づけられるべきものなのであるから。肖像がそのモデルを複雑なままそっくり表し、絵を前にしては実人生に対する場合と同様に、特徴を取り出すためには単純化の努力が必要とされるのに、物真似の場合にはまずはっきりした特徴が与えられる。
 ここは説明すべきところでもなく、物真似とはそう言うものである。ただ問題は対象物がモーリス・シュヴァリエではないにもかかわらずシュヴァリエを見るのかと云うことになるだろう。勿論サルトルの言うように知覚として見ることはフランコネィを見ているのではあるが意識の像としてはその両方を見ていることにもなりその二つを自由に行き来することにもなる。そしてここでサルトルはベルクソンの『物質と記憶』の一節を取り出す。
「アプリオリに、・・・・・個別的対象物の明瞭な弁別とは高級な知覚であるように思われる。・・・・・私たちははじめから個体の知覚や類の概念をもつわけではなく、物質とか類似とかのぼんやりとした感じをまずもつもののように思われる・・・・・」-Henri Bergson-
 その黒い髪の毛をも、私たちは黒いものとして見ない。その肉体をも、私たちは女性の肉体だとして知覚しないし、すぐ目をひく身体の曲線を見ようとしない。しかも、直観的次元に降り行くことが問題なので、私たちはそれらのものの感覚的な内容を、それがより普遍的なものに通ずるかぎりに於いて利用する。頭髪も身体も、曖昧なマッスとして、みたされた空間として、知覚される。それは感覚的不透明さをもつ。あとは配置の問題にすぎない。かくて、私たちの、想像的意識の記述に於いて、はじめて、-そしてそれはまさに知覚の只中に於いてのことなのであるが、-根本的な不確定性が姿を現したのである。
 知覚された個々の対象物であった耳とか、鼻とか、を実は細部にわたって見ていないようなものであって、感覚的不透明さを以て捉えられていると言うことである。
※アンダーラインーnamgen
 フランコネィの物真似を見る意識は時間的意識形態であるとサルトルが指摘したことは以前書いたかと思うがさらに進めてみよう。物真似屋は物真似の対象となったシュバリエの類同代理物(アナロゴン)を構成しているのではあるが真似られる人物の完璧な等価物ではないことは明らかである。であれば、なぜモーリス・シュバリエとして我々に見えるのかと言うことになる。それは記号として機能の役割はもう充分に終えている。また見ているだけでその見る側がフランコネィであることを認めながらもシュバリエだと思い込むようにして見るのであろうか。つまり記号として知覚しているに過ぎないものにイマージュとしての時間化を表象するのかと言うことにもなる。その辺のところについてのサルトルの記述は以下のように書き出している。
・・・すなわち、識知から発して、その識知の力によって、直感を決定せねばならない。その唇はつい先刻記号であった。それを、私は今やイマージュたらしめている。
 これを平たく言うと目の前で芸をしている物真似屋フランコネィからは一種の演技である物真似の仕草を提供されているだけに過ぎない、ということであり、それ以上でもそれ以下でもないということにもなる。つまり見る側の意識の作用が何かあるのだと言うことにもなってゆく。さらにサルトルは続ける。
対象物は何一つ教える力はもたないし、直感は身の重い、減弱した識知にすぎない。同時に、これらの区分された各区割りは漠然たる直感域によって接合されている。女芸人の頬、耳、顎、が接目のはっきりしない織物のような機能を果たす。この場合にもまた、識知が先行する。知覚されるものは、モーリス・シュバリエが頬や耳や顎をそなえているという漠然とした識知に呼応する。ここの特質は消失し、姿を消し得ない特質は像的綜合に抵抗する。
 しかしこれらの相異なる直観的諸要素も、前に述べた《表現的本性》を実現するには充分ではないだろう。
 では何がイマージュを創り上げるのだろうかということになるかと思う。
 感情性(アフェクティヴィテ)という因子の登場。
識知の範囲を出ない対象物は如何に我々の中で表現的本性を実現しイマージュたらしめるのか。つまり知覚と弁別されうる「想像力」によってしかイマージュは獲得されないとサルトルは言うのである。
1 一切の知覚は感情的反作用をともなう。〔Cf.Abramowski,Le Subconscient normal.〕

2 一切の感情は何ものかの感情であり、すなわち、感情はその対象物をある仕方で思念し(狙い)その上に、ある性質を投影する。ピエールに対して同情をもつことは、同情すべきものとしてのピエールの意識を持つことに他ならない。
※Le Subconscient Normal by Edouard Abramowski(1914精神医学、心理学・フランス)-namgen
 フランコネィの物真似にあらわれるモーリス・シュバリエは我々が知覚する次元で或る感情的反作用を包含しているということになる。物真似についての意識において、志向性を帯びた識知が感情的反作用を眼醒めさせるというのである。そしてその感情的意味によって結合されたいくつかの記号が「表現的本性」であり知覚の本来直観的な要素に替わりイマージュとして実現するのだという。
 像的綜合は自発性、あるいは自由性ともいい得るであろうものの、非常に強い意識をともなっている。それは結局、明確な意思のみが、意識のイマージュの次元から知覚への次元への横滑りを防ぐことが出来るからだ。ほとんどすべての場合やはりこの横滑りが随時に行われる。心的綜合が全的に行われない場合さえしばしばある。物真似屋の顔も身体も各々の個性を全部喪失するにはいたらないのに、一方、その女らしい顔容や身体の上に《モーリス・シュバリエ》という表現的本性がもう姿をあらわしている。その結果、全然知覚でもなく、それかといって全然イマージュでもない、混成の一状態が生ずるが、それについてはそれだけについて記述する値打ちがありそうだ。
 先程も言ったがサルトルはここでもイマージュの喚起について知覚と意識の感情性を区別して書いている。この辺のところは『想像力の問題』に於いての重要なサルトルのモチーフと見ることが出来るだろう。
そして物真似の対象物(この場合モーリス・シュバリエ)がその素材(フランコネィ)に対してもつ関係を「憑依の関係」とよんでいる。
不在のモーリス・シュバリエが、自ら現れるために、一人の女の身体をえらんだのである。
 サルトルはフランコネィの物真似を例にとり、知覚でもなく像(イマージュ)でもない、いわば混成し不安定で持続性のない意識の状態をつくっているのは感情性の働きであり、明確な意志をもったものが伴っていて、またそれが物真似という空間を形取っているといっている。さて話を進めていこう。

■記号からイマージュへ-図式的絵図
 記号でもなく写実的には全く実物にも似ていない「図形」は一体人間にはどのように作用しているのだろうか。フランコネィの物真似で進めた論証をサルトルは更に踏み入れることになる。
 フッサールは、イマージュとは意味の《充実》(Erfullung)((充実。フッサールの現象学においては、単に象徴的意義を担っていた志向がそれを直観化する作用において充実を得ることをいう))であるという。しかし物真似の研究は私たちに、イマージュとは、むしろ、直観の次元に降って来た、減弱した意味である、と信ずべきことを示した。そこには充足はなく、本性の変化が見られる。図式絵図の研究が私たちのこの意見を更に力強いものにしてくれるであろう。図式絵図の場合には、実際、直観的要素が大いに減ぜられ、意識的能動性の役割が重要性を増す。そして志向こそイマージュを構成し、知覚のあらゆる衰亡を補うものである。

 サルトルは「図式絵図」という説明において端的に言い換えれる漫画家の描く黒い線を持ちえて描く人間の絵図について言及する。確かにいくつかの線で漫画家は簡潔に人間の姿を描くことが出来る。また時と場合によってはそれが誰か分かる時さえある。新聞に毎日のように載っている、政治家や時の人を描いている「世相漫画」がそうである。それを見る限りに於いても描かれたものが対象そのものを写実的でリアルなものであるということは思っていない。でもそれが誰を表しているのかを識知している。つまりそこでは単なる黒い線があり記号に過ぎないということで見ているのではなく解読して了解しているのである。少し長い引用になるがサルトルはそこのあたりを以下のように言っている。
 たとえば漫画家は一人の人間を厚みをもたぬ幾つかの黒い描線を用いて表現する。頭には黒い点、双の腕は二本の線、胴体は一本の線、足は二本の線、といった風に。図式は、イマージュと記号の間に立つという特性を有している。その素材は解読を要求する。図式は諸関係を現前させることのみを目的とする。それ自体としては何物でもない。もしもそれを解読する鍵である慣行のシステムを知らなかったならば、多くの図式が解読不能となる。大部分のものは知性による解釈を必要とし、それが表象している対象物と真実に類似しているわけではない。さりとてそれは記号ではない。何故ならそれは記号とみなされないから。これらの幾本かの黒い描線の中に、私は走っている一人の人間を志向する。識知はイマージュを思念する(狙う)が、しかし識知自体はイマージュではない。それは図式の中に流れ込み直観的形象をもつようになる。ただ、識知は単に図式の中に直接表象されている諸性質の知識を含んでいるのみではない。それはまた、色や、顔の線や、しばしば表情さえも含めて、内容がそなえ得る多種多様な身体的諸性質にかかわるあらゆる種類の志向を、区分されていない一団として、まとめて含んでいる。
 私が先程風刺漫画の例えを言ったがそのあたりをサルトルは意識の志向性によってイマージュが形作られそこには解読しようとする力が作用してくるといっている。そして更に続いていく。
これらの諸々の志向は、図式的図形に関係を保ちつつ未分化の状態でとどまっているが、その図形上に直観的に実現される。これらの黒い線を通して私たちは、単に影法師を思念する(狙う)のではなしに、完全なる一人の人間を思念する(狙う)のであり、その線の中に、一人の人間のあらゆる諸性質を個々に分かつことなしに集中する。かくて図式ははちきれんばかりに充ちあふれている。実をいえば、これらの諸性質は表象されていない。本来の意味に於いては、黒い線は、構造と姿勢に関する二、三の関係を除いては何一つ表象してはいない。しかし一切の識知がそこにすし詰めになり、かくてこの平板な図形に一種の深味をそえるようになるためには、不完全な表象で充分なのである。膝をついてかがみ、空中に双手をさし挙げている男を描くとしよう。すると諸君はその男の面上に怒りをまじえた驚きの情を投影することであろう。しかも諸君はそこにそれを見ないはずである。怒りをまじえた驚きは、電荷のように、そこに潜在している。


この稿は2004-11-17 、2004-11-18、2004-11-20、2004-11-21、2004-12-05 、2005-06-03、2005-06-04、2005-06-11、2005-12-10にはてなダイアリに於いて書かれたものを再編転載しました。
-続く-