2009-10-03

マージナル・ソルジャーを超えてゆくもの-1


作品はありきたりな知覚を延長し、かつ乗り超える。ありきたりな知覚が卑俗化したものや逸してしまったもの、その還元不能な本質を、作品は形而上学的直観と一致しつつ把握する。通常の言語が匙を投げたところで、詩や絵画は話す。このように作品は、現実よりも現実的なものとして、絶対的なものに関する知識を自認する芸術的想像力の威信を証示している。
 -現実とその影-(エマニュエル・レヴィナス:1948年)註1

 根本正午氏を最初に知ったのは2007年初頭頃ではなかったかと思っている。無論会ったこともなく、あくまでインターネット上彼を知ったと言うことにしか過ぎなかった。当時の彼はその頃その持ちうる個性でもってブログ界の一角で確実な読者層を得、またその中にも一部熱狂的な支持者も居たように見受けられた。だが、それは所詮インターネットという広大な海の中の片隅の現象でしかなく「文学以前」と呼ばれるものがあるとしたならば、ある意味ではその多くが彼が対峙していると思い込んでいる世界の位相の軋みの一部を顕したものに過ぎなかった。そして彼のブログを斜めから見ていた私はある日彼が伊豆の修善寺に行った時の心象を描いた『八十八の石碑』というエントリに目がいった。ここで私はようやく琴線上で彼と初めて出会ったのである。彼は修善寺の山中にある弘法大師像の石碑に刻まれた梵字と歌を見るために地図片手に山中を革靴のまま歩くのである。いささか長いがその一部を抜粋してみよう。

  (前略)
僕は山道で見かけた一つの石碑からその存在を知り、すべては無理だが近場だけでも歩いてみようと地図を片手に回ってみていたのだった。
前日に降った雨で落ちた枯葉が土くれの上に貼りつき、足場は湿っていて危険だ。僕は大量のジョロウグモが作った巣をよけながら道を登っていく。
  (略)
足元に注意しながら緩い坂道を登っていくと、林の中に隠れるようにして、二つ目の石碑が見つかった。表面に指を走らせると、文字は岩に描かれているのではなく刻み込まれているのがわかるが、酸性雨だろうか、なんらかの化学変化により表面の色が変わっていて非常に読みにくい。近くに建っていた看板により内容がようやくわかる。
僕は手を合わせるべきなのかどうかわからず、傘を片手に持ったまま考える。高校生のころ、近所に住んでいたモスリムのマレー人が、いつかメッカを巡礼したい、と言っていたことを思い出す。メッカを巡礼した証しである白い帽子をかぶることが彼の夢だったのだった。註2
   (略)
ほとんど消えかけた文字が刻み込まれたこの石くれを拝むために、毎年訪れるという数千人の日本人たちのことを考える。「家内安全、無病息災を祈るのです」と、看板が巡礼者たちのことを説明している。僕には家族などいない、と思い、何に対して手を合わせるべきか逡巡する。ブログを読みブログを書く愚かな自分のためだろうか?
   (略)
答えを出せないままふと脇を見ると、ジョロウグモの巣に、虫がひっかかって死んでいた。僕はそのジョロウグモと、食われるために命を落とした虫のために、手を合わせることにした。いつかこの八十八の石碑すべてをまわってみたい、そう思った。
    -「八十八の石碑」-

 失礼な言いようにもなるがそんなに巧い文であるとは言えない。だが、しかし今考えると判るのだがこのエントリ自体が彼の迷いを振り切ろうとしている象徴であるとも思えた。彼はこの時まだブロガーであったのである。そして敢えて言えば匿名というウェブ界に於ける正体不明のブロガーでしかなかった。この場合の匿名という意味はプロの物書きであるのかどうかが不明であるという意味でしかない。現にブログ界では別名を使用したプロのライターの存在もあるし、その人達のコラムや雑文めいたものを読むことも可能である。また作家と呼ばれる人たちの相当数の方がブログを書いていることは周知の通りである。また作家であるからウエブログのエントリが優れているという保証があるわけでもない。それは単なる個人的な日記録であったり新刊の宣伝の役割を果たすべく広告塔であったりして必ずしも創造的なものであるというわけでもない。それらは原稿料を伴わない世界でもあり、当然といえば当然のことでもあるだろう。
 だから、その時のわたしの根本正午に対する予備知識はブロガーであることだけであった。また今、更にいうならば今回のエントリを書くきっかけと経緯に至ったネット上のメールのやりとりに依って結果的に築くことが出来た相互的な信頼関係だけであった。言うまでもないことであるが一般的にブログに書かれるエントリは読者であるネット・ウオッチャーというものを想定して書かれている。つまり相互的意志の交通手段としての言語が最優先されるということであり、言葉から文体までが書き手自身にもなんら拘束力を持ち得ない世界であることも示している。つまり社会的慣習のもっとも保守的に機能する言語によって書かれているものが大概のブログ文であるとみていいだろう。だがこれには当然大きな問題が残されることになる。つまり書き手の欲望が自らの想像力と抵触し始めるとどういうことが起こりうるのかという事を考えてみればいいと思う。そこには極めて本質的な自己存在の確証への欲求ともいうべき問題に行き着いてゆくはずである。まさしく根本正午はブロガーとしてだけではなく表現者の道を歩み始めたいという欲望に突き動かされてゆくことになる。世界にあるおのれの不可視の存在を視るということは想像力がもたらす世界の構築によってこそ切り開かれる。このことは通常のブログ文ではボーダーを超えることができないと言うことも指している。つまり境界者であるマージナル・ソルジャーから創造者根本正午へ架橋してゆくものはやはり想像的言語でしかなかったのである。
 2007年8月根本氏から彼が初めて書いた小説『セックスなんてくそくらえ』の初稿が郵送されてきた。これが私が読んだ初めての彼の生原稿とも呼べるものでもあった。当小説は25段落に分かれていて400字詰め原稿用紙にして凡そ80数枚によって成り立っていた。いうならば短編領域をわずかに超え中編と呼ばれるものとの中間に位置するもので量としていえば筆力がよく見て取れる分量であるといえるだろう。そしてこの小説はある文学賞に初挑戦した応募原稿だったので公表されていない。詩人井上瑞貴氏が根本氏の第2作目『重力の街』(叙情文芸2009夏)を読み、次の第3作目である『太平洋イルカクルーズ』(叙情文芸2009秋)を読んだ後どこかで呟いた「連作もの」の始まりはこの『セックスなんてくそくらえ』から始まったとも言えるのである。

2に続く

註1:「現実とその影」はレヴィナスが二次大戦後「捕虜収容所」で生き残った後に発表されたものである。ユダヤ人であった彼の親族や近しい者達も含めて多くはすでにかの「絶滅収容所」においてこの世にはいなかった。彼は収容所の中においてモーリス・ブランショから差し入れられた文学書を読み漁っていたが外部の「絶滅収容所」の中で行われていたユダヤ人に対する大量虐殺を信じがたい思いでいた。フッサールとハイデガーという巨大な思想家から多大な影響を受けるも収容所体験をしてハイデガー哲学の批判的立場を持つに至る。人間の持ちうる存在論的テーマを彼独自の「他者論」という展開で現代哲学におよぼした影響は大きい。主著としては『フッサール現象学の直観理論』、『全体性と無限-外部性についての試論』等がある。
註2:言い忘れたが根本正午氏は帰国子女である。

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