ついにじぶんのやってきたことは空しい作業だったかという覚醒は辛いものであった。それゆえ、わたしの主観のなかでは、じぶんの手でつくりあげてゆかねばならない文学の理論は、とうぜん思想上の重荷をも負わなければならないものであった。その時期が、わたしの文学上の最大の危機であり、わたしは少数の言語理論上の先達にたすけられながら、まるで手さぐりで幾重もたちふさがった壁をつきぬけるような悪戦をつづけた。そして本稿によって、わたしは思想上の貴任を果しながらその作業をおえることができたのである。
-吉本隆明/初出「試行」(昭和36・10~40・6)-
これは『言語にとって美とはなにか』の序に於いてのさわりの部分である。
さて上記の『言語にとって美とはなにかⅠ、Ⅱ』は吉本隆明の膨大な著作集の中でも言語表現の構造にメスを入れた労作であり「大作」である事に異論が無いところである。また私達は国内にいまだ匹敵するような類する著作を持っていないことも事実である。吉本隆明はこの『言語にとって美とはなにか』を直接購読制を取った同人誌『試行』((1961年谷川雁、村上一郎、吉本隆明の三名によって創刊され、1997年12月20日第74号で終刊する))の創刊号から第14号までの間連載した。その論は非売品にも近い『試行』の直接購読性ゆえ一部の者だけしか読むことは出来ず、また後年その原稿に加筆訂正をくわえ勁草書房より公刊された「Ⅱのあとがき」にも書いているように『わたしは少数の読者をあてにしてこの稿をかきつづけた。』といっている。そしてそれは成されたわけであるが彼はこれを書き続けている中、沈黙の言葉でつぶやくのである。『勝利だよ、勝利だよ』と。そして公刊について以下のように述べている。
いままでいくつかの著書を公刊しているので、つながりをもった小さな出版社もひとつふたつないではなかった。しかし本稿はみすみす出版社に損害をあたえるだけのような気がして、わたしのほうからはなじみの出版社に公刊をいいだせなかった。それでいいとおもったのである。最小限、「試行」の読者がよみさえすればわたしのほうはかくべつの異存はなかった。
-「言語にとって美とはなにかⅡ」のあとがきより-
これは暗に彼独自の言語構造論がその当時の日本的情況からみれば世界思想に迫ったという自負心の裏返しの心境の吐露であり、孤高であるがゆえの当時の彼の位相を表しているといえるだろう。愚民の目から見れば畏敬せざるを得ないくらいの実に恐ろしい男であったわけである。そしてやがて愚民代表として筑摩書房の編集者((現在は『ハイ・イメージ論』等20冊程度の吉本の著作を出版している。))が出版したいと思うから連載された「試行」を見せてもらえないかと訪ねて来るのである。そして後日、筑摩書房から出版する気が無い旨の連絡が来る。ま、いまでは「ちくま新書」、「ちくま学芸文庫」と銘打って構造主義だわ、ポストモダンだわとアドバルーンを揚げている愚民教養出版社であることを考えればもっともなことであった。また書かれたものの孤高ゆえの商業性を有していない著作でもあったともいえるかと思える。だがしかし、世は捨てたものではなかったのである。勁草書房から優れた編集者である阿部礼次氏がやってきたのである。そしてこの『言語にとって美とはなにか』が我々の目の前に現れたのであった。そして彼吉本隆明は勁草書房の阿部礼次氏へ尊敬と感謝の念をこめて当時を振り返り、こんなことを言っている。
わたしはこのときも、よくよんだうえで本気でよいとおもったならば出版するように求めたと思う。阿部氏はよほど非常識だったらしく、やがて本稿を出版することに決めたという返事があり、わたしのほうもそれではと快諾した。校正の過程でも、怠惰と加筆で散々な迷惑をかけたが不満らしいことは、わたしの耳にははいらなかった。阿部氏がいなかったら本稿は陽の目をみることはなかっただろう。未知のまえで手探りするといったあてどないわたしの作業の労苦よりも、阿部氏のような存在や、本稿を連載中のわたしの周辺の労苦の方が、この社会では本質的に重たいものにちがいない。わたしは本稿にたいして沈黙の言葉で『勝利だよ』とつぶやくささやかな解放感をもったが、阿部氏やわたしの周辺は本稿の公刊からはどんな解放感もあたえられないだろうからである。-1960年7月
-「言語にとって美とはなにかⅡ」のあとがきより-
さてわたしも愚民の一人として当時の勁草書房版を持っているのだが「奥付((本の構成内容の一つ。主に書籍名、著者名、発行者名(出版会社)、印刷所名、製本社名、ISBN、発行年月日、版数、定価、著作権表記などを記載したページ日本の書籍では最終ページにおかれる。))」を見ると興味の引かれることに目がいったのである。わたしが買ったのは昭和43年であることがわかるのであるが、このときの「Ⅱ」についての刷数(太字)に注意してもらいたい。
「言語にとって美とはなにかⅠ」の奥付
昭和40年5月20日第1刷発行
昭和43年3月15日第8刷発行
「言語にとって美とはなにかⅡ」の奥付
昭和40年10月5日第1刷発行
昭和43年8月15日第6刷発行
定価 750円
つまりは「Ⅰ」ほど「Ⅱ」は売れてなかったという見方もできるが、大概の者は当時の流行で購入はしたが、頭の具合がおかしくてというかヴァカなため「Ⅱ」に進めなかったと見るべきであろう。40年前も今も知ったかぶり愚民と呼ばれる者達の「知」の位置は変わらないのではないかと思った次第である。
そのほかぐぐって見ると結構あるものだ。なかには『積んでるうちに文庫版は「定本」といふのが出ちまひましたが、かまひません。』という積読と呼ばれるものがあることも知った。ニヤニヤしながら以下を読んでいた。なかなか必要に迫られない限り、「言美」は一筋縄でいくような書物ではないのだろうなと思った。
三浦つとむ「日本語はどういう言語か」(講談社学術文庫)の吉本隆明の「解説」を読むことで、やっと吉本隆明の主著「言語にとって美とはなにか Ⅰ Ⅱ」(角川文庫)を読む気になってきた。
「言語にとって美とはなにか」は、誰も最後まで読み通せない点でマルクス「資本論」と同様に有名だが、ご多分にもれず、学生時代から何度挑戦してもダメな本である。
「心的現象論序説」も読みたいのだが、同様に未読だ。
「晴耕雨読 古本屋の読書日記」より
※その他の参照サイト:
「表出論の形成と複合論-嶋 喜一郎-」
「対話とモノローグ-弁証法のゆくえ-」
「終わりなき〈意識のさわり〉の営み-石村 実-」
「言葉が生まれるところは、どこか。-吉本隆明と糸井重里の対談-」・・・全5回
「言語にとって美とはなにか (冒頭部分)」
記:このエントリははてなGの「愚民の唄」2006年10月30日より転載した。